ま 苦しみのブログ

あんまり表には出さないよ!!

本当の苦しみのブログ 後編

成功者とは、常に努力を惜しまず、それでいてどんな逆境にあっても決して諦めず、ただひたすらに、頂点を目指して歩み続けるものである。

逆に言えば、成功者になろうとするモチベーションが無尽蔵に溢れ出ていなければ、人間は絶対に成功者にはなれないのだ。

 

ーーーーーーー

 

遂にグリーンランドへ至った大谷は、記憶と現実の混同によりうなされている時雨を介抱しつつ、現地へと赴こうとしている。

「まさか、ここまで…ここまで見覚えがあるとは、思いませんでしたよ。」

眼前に広がる、まるで漂白されたかのような氷雪地帯。

見れば見るほど白が広がっており、特徴と言える特徴がないようにも思えるが、時雨椿はこの景色を脳裏で見続けてきたのだろうか。

「大丈夫?一旦休んでからでも…」

「いえ、ここで止まってはいけません。嫌な予感がします。」

「予感?」

「はっきりとした記憶ではありませんが…何か、この研究所は既に私達の存在をキャッチしていて、それに対する策を講じているかのような、そんな漠然とした予感がするのです。」

「えぇ!?そりゃあまずいでしょ!」

「……だからこそ、進まなければならないのです。いよいよ秘匿された研究所っぽくなってきたじゃないですか。オカルトライターなら、もっとワクワクしないといけませんよ?」

明らかに青白い顔の時雨は、強がりなのか、それとも本当になんらかの焦燥感に駆られているのか。

「…無理はしないでよ?」

「それは、無理な相談ですね。ここで無理をしなくて、一体どうするというんですか。」

「…」

大谷には返す言葉が残されていなかった。

今の時雨椿の心情なぞ、赤の他人である自分には分かるわけがない。

彼女がどれだけこの時を生涯待ち望んでいたのか、その重みを計れるのは時雨椿本人をおいて他にはいないのである。

「行きましょう。」

まるで何かに導かれるかのように、迷いなく、真っすぐ、白い地面を歩いていく。

大谷はそれに追随するように、念のため周りを注視しながら移動する。

「たまたま晴れていてよかったですね。これで猛吹雪だったりしたら、それこそ凍死しかねません。いくらこの防寒着を着てると言えども…」

「時雨ちゃん、距離はどのくらいあるの?その、例の場所まで。」

「そうですね…とりあえず、一日中このペースで歩き続ければつくかもしれないと言っておきます。ただ、道中何らかの方法で一度は野営をした方がいいでしょう。安全を考えると。」

「…そっか。」

デンマーク本土ではあんなに楽しそうにしていた彼女が、ついに研究所を目の前にしたこのタイミングであまり話さなくなった。

ただ、無言で歩く。

ただ、ある一点を目指して。

その一点がなんなのか、大谷はまだ分からない。

もしかしたら本当はガセネタなのかもしれない、という1%ほど残った疑念も、デンマークに着いたあたりで消え失せていた。

ただ、歩く。

ただ、ただ。

 

どのくらい経っただろうか。

「はぁ、はぁ…」

日が落ち始めている。

「…っ」

突如時雨が倒れこむ。

大谷が慌てて駆けより、荷物を広げる。

「休もう。」

「…ええ。その方が…いいかもしれません。」

あらかじめ持ってきておいた着火剤や携帯薪を広げ、キャンプ用の椅子に座る。

「はぁ…」

「…」

「……大谷さん。」

「なに?」

「本当に、ありがとうございます。」

「…」

「あの時以来、ちゃんとお礼を言ってないような気がしたので。」

「いや、いいよ。どうせ使い切らないといけないお金だったしさ。」

「それでも、私は嬉しいです。ここまで付いてきてくれて…きっと大谷さんがいなければ、私は、そう、もしお金が用意できたとして、結局どこかで壁に直面していたでしょう。国際便に乗れなかったかもしれませんし、さっき無理して倒れたところで動けずに、そのまま死んでいたかもしれません。」

「…」

「…すいません、おかしいですね。ここまで来て、変な話をしてしまいました。何か食べましょうか。」

「持ってきてるの?」

「ふふふ、聞いて驚かないでくださいよ。」

おもむろに取り出したのは、二人分のレトルトビーフシチューだった。

「な…」

「食べたそうでしたからね。私なりの配慮といったところです。」

「…そっか。」

ただ、それを加熱し、食べる。それだけのはずなのに、視界の奥で燃えている焚火が大谷を刺激していた。

それどころか、大谷は研究所に何かを期待しているようにも思えた。

デンマークで付いたあの炎の正体はなんなのか。

この焦燥感は、一体なんなのだろうか。

何か大切なことを見落としているような、そんな気がする。

逸る気持ちをよそにビーフシチューを一口食べると、想像通りの味がし、少し落ち着いた。

機内食で食べ逃して以来ずっと欲していた味なのかもしれない。

「……」

「…見てください。」

時雨が指を刺した、その先。

「オーロラですよ。」

ただでさえ軽い放心状態だった大谷は、更に魂が抜けたようになる。

ただただ神々しい景色が、空を覆っている。

まるで、宇宙が自分たちに何かを伝えようとしているようにも思えた。

「こんな副産物があるなんて…やっぱりついてますね。私。」

ゴォォォォ、という重低音が聞こえるような気がする。

立ち眩みがしてきた。

「うう…」

「どうしました?」

今にも倒れこみそうな大谷を、今度は時雨が支えようとする。

その刹那。

何かが破裂したかのような、耳をつんざく轟音が響く。

「動くな!」

「は…?」

声を発することが出来ない。

いや、例え叫び声をあげたところで、誰にも届きはしない。

重低音は止んでいた。

そして、その代わりのように、大谷の足首から赤い液体が滴っている。

「え…は…?お、大谷さん!」

「動くなと言っている!」

また破裂音。しかし、今回はなんの対象も撃ち抜くことはなかった。

「ひっ」

「……話がある。」

この大男に、大谷はかすかな既視感を感じていたが、もはやそんな事は些事に過ぎなかった。

「お前らが行こうとしている研究所について、俺は説明しなきゃならない。」

「あ…あ…んたが、黒幕…か?時雨ちゃんを…」

「…時雨、ね。そうだ、俺が黒幕だ。俺は全てを知っている。」

完全に制圧された状況の中、大男は話し始めた。

「時雨っていうのか?お前。」

「は、はいっ」

「そうビビんな。俺は…まあいい。時雨。お前は脳内に突然現れた謎の施設を見つけるためにここまで来た。そうだな?」

「……」

彼女は答えなかった。

「…まあいい。いいんだ。違うというのなら、今から話すのは全て俺の独り言だ。」

「…」

大谷は既に動ける状態ではなく、時雨は震えながらただじっとしている他ない。

「…分かって、います。」

「あ?」

「自分がどんな存在であるか、薄々気が付いています…クローンなのでしょう?私は…。」

「…そうなるな。」

「私は本来であれば、施設に対し忠誠を誓い、ただ命令を実行する機械であるはずだった…そうなのでしょう?」

「時雨ちゃん…?何を言って」

「そこまで分かってるなら話は早───」

「そこまで分かっていて…何故まだ私と会話を続けているのかと聞いているんです!」

突如大男の前めがけて走り出し、自身の頭を銃口に突きつける。

「撃つなら、撃て。それが私という存在なのであれば、撃ってください。」

「時雨ちゃん!!」

「…あ?」

「何をしているのですか!」

「なんだ?あいつが?」

大男が突如、不可解な独り言を発し始めたと思った束の間。

「……事情が変わった。乗れ。」

先程から背後にあった黒い大きな影が車だということに、二人はやっと気が付いた。

「はぁ!?」

「いいから、乗れ!」

「時雨ちゃん!」

片足を引きずりながら自身に飛び掛かってくるを見て、その大男は何かを感じた。

「なるほどな。」

「何が…!」

「さっきの俺が黒幕ってのは、嘘っぱちだ。真の黒幕ってやつが、お前と会いたがってる。」

大男が指を指していたのは、時雨ではなく、大谷だった。

 

ーーーーーーーー

 

大型モニターに映る白い髭の男は、かなり老衰いているように見えるが、どことなく覇気が感じられた。

「イレギュラーだ。若潮。イレギュラーなんだよ。」

「折角脅しかけてやったってのに、今更プラン変更かよ?イレギュラー?」

大谷は足首に応急処置の包帯が巻かれ、時雨はただ、ただその男を睨みつけている。

「お前、大谷翔平、なのか?」

「…まあ、そうですが。」

「クク、クククク…」

一瞬の間ののち、突如堪え笑いをし始めた老人を見て、二人はただ底知れぬ恐怖を感じるしかなかった。

「イレギュラーだな、これは…ククク…ぐっ」

かと思えば、突如この老人は泣き出してしまった。

「クッ…」

若潮も、この状況を飲み込めていない。

「嬉しい、俺は嬉しいぞ、大谷!」

「何を言ってるのかわかりかねますが!」

「ククク…今こそ、話そうじゃないか。全てを明かすときが来た!」

「おいいいのか!ミドル!」

すかさず制止する若潮をよそに、ミドルは語り始めた。

「この世界、いや、この宇宙は、一つではない。」

「チッ、知らねえからな。どうなっても。」

「この宇宙とは別の、並行宇宙。そこから俺は来た。わかりやすく言えば、パラレルワールドと呼ばれている場所。」

「大谷さん、こいつは何を言っているのですか?」

「まず前提として、並行宇宙は実在する。宇宙の先端付近に存在するブラックホールの内部で、伸び切った時間の中、無限に近い暇を潰せば別の宇宙へと入り込むことが出来る。俺はその並行宇宙にかつて存在していた、地球、Earthと呼ばれていた星から来た。今俺たちがいる“ディープブルー・プラネット”と極めて酷似した星だ。その星があった宇宙の”熱的死”からただ一人、生きて脱出した唯一の人間が俺だ。」

「熱的、死…」

オカルトライターとしての大谷の脳をフル回転させ、いつしか聞いた熱的死という言葉の意味を思い出す。

「ビッグバンから始まった宇宙が膨張しきり、あらゆるエネルギーが薄まり、消える。宇宙の最終形態であり、文字通りの死。この熱的死はあらゆる宇宙で起こりえる。それを阻止すべく、この研究所で密に研究を続けていた。」

「それが私や大谷さんとどう関係があるんです?」

大谷翔平については順を追って話す。お前に関しては…言わば、副産物的存在だ。このレベルの予防策を講じるとなれば、あらゆる分野で人類の技術力を上回る必要性が出てくる。俺はその技術的ブレイクスルーを、幾度も、幾度も、幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も、超えて、進んできた。その副産物だ。」

「…は?」

「お前に対し俺が特別な感情を抱くことはない。ただの裏切り者、即刻抹殺されるべきだと思っている。後ろの男は違うようだが。」

「クソ…見てらんねぇ。」

ミドルに嫌味を言われ、逃げるように退出していく若潮の背中には、どことなく哀愁が感じられた。

「は…はは。」

「時雨ちゃん。」

手を取る。

「は…」

大谷の大きな手が、いくらか時雨の精神状態を改善させた。

「…話を戻そう。そうだ。その、宇宙の滅亡に対抗する措置。エネルギーが薄まってしまうのならば、生命体がエネルギーを生み出し続ければ、熱的死は起こらない。だから」

「だから…?」

「この星でいう”人類”が、宇宙の端から端までを全て管理し、宇宙のあらゆる場所で核融合炉からエネルギーを取り出し続ける。そうすれば、少なくとも今俺が観測している範疇の現象のみが起こると仮定すれば、この宇宙は永遠に存続することとなる。これが“宇宙温暖化計画”だ。」

「…宇宙が、仮にもし滅びるとして、それの何が問題だというんです?。だってその頃には私たちなんて」

時雨は半ば諦めたように言う。

「熱的死はいついかなる状況でも起こり得る。観測手段はない。」

「でも、それでも、あなたが人類のためを思うのなら…」

「そうだ。だから若潮には即射殺を命じなかった。人類には意思があるべきだからだ。お前たちが俺の計画を阻止するだけの根拠、そしてその正当性を出せば、俺は宇宙温暖化計画の一切を放棄する。ここ培った技術は危険を伴わないレベルで全世界に通達される。具体案があるか?いずれ滅ぶ宇宙を救う方法が、お前たちにあるのか?」

言葉に詰まる。

「…そもそも」

「いやいい。お前たちが言いたいことが手に取るように分かるぞ。お前たちはそれでも尚、俺になぜそんな事を、と問うのだろう。そうだ。人類救済なんて大層な計画には、モチベーションとなる何かが必要だ。」

大谷は、また自分の内に炎が滾っているのを感じた。

「…人類生存以外の目的が、あるのか?」

「ある。…俺が、そうしたいからだ。この星を永遠に存続させたい。人類を永遠に生存させたいと俺が思っているから、この計画は始まった。」

「……説明になっていませんね。」

「いいや…」

「やはり同類のようだな。お前と俺は…大谷翔平。」

漠然としているが、何故か異様な感覚に満ちている。

「時は遡る。俺がまだ“地球”という星にいた頃の話だ。今俺はエレクト・M・アンノウンと名乗っている。これは地球時代のイニシャルから来るものだ。」

固唾を飲む。この男の裏にはまだ恐ろしい事実が隠れている。

「俺は地球でイーロン・マスクという名前だった。実業家だ。あらゆる分野に手を出した。自動車、不動産、何でもやった。だが、とりわけ力を入れたのは宇宙開発だった。俺が創設したスペースXというチームは、その頃の地球の宇宙技術をリードしていた。この老人の外見になったのは、この地球で、普通に生きていた時だ。」

「では、そこからあなたの老衰は止まっている…って、そんな事ができるのも当然ですかね。私のような…物を、作れるんですから。」

「いいや、遺伝子操作ではない。まず、俺は地球の技術のみでこんな大層な計画は実行できない。それから長い準備期間が必要だった。まず、その宇宙より先に地球がダメになった。当時は地球温暖化のためと呼ばれた。近代化活動によって排出される温室効果ガスに環境が耐えられなくなり、人間が住める星の地表温度ではなくなった。一部の物好きな富裕層だけが宇宙の新天地を目指して飛び立ち、残る大勢の人々は地下に籠った。その地下世界の人類についてはそれから観測できていないが、どんな幸運に恵まれていようとこの後待ち受ける熱的死によって絶滅しただろう。」

「…」

もはや受け入れるしかなかった。

何故なら、イーロンマスクが語る地球という星の状況は今の自分たちがいるディープブルー・プラネットとあまりにも似すぎていたからだ。

そんな未来が待ち受けているのだろうか、という漠然とした不安を感じる2人。

「俺は宇宙へ飛び立った。俺の会社は宇宙開発の最先端なのだから当然だ。しかし、それも失敗に終わったと言うのが、結果だけ見れば正しいだろうな。」

「今あなたがここにいるのに、失敗?」

「…言ったろう。俺が最後の生存者だ。他にも宇宙へ飛んだ奴はいたが、それぞれ宇宙船が誤作動を起こしたり、放射線に耐えきれなかったり、着陸に失敗したりもした。残ったのは俺の船だけだった。しかし同乗していたクルーはもはや生きていると言える状態ではなかった。帰るべき星はもはやなく、ただ当てのない旅を続ける。そんな状態で正気が保てるやつはいなかった。」

「…あなた以外は。」

「皮肉なものだな。俺の船は、このまま活動しても生存の見込みが薄いと判断した場合のみ使用される人工冬眠カプセルが二つだけ積載されていた。男女一名ずつの冬眠で、ほんのわずかな可能性ではあるが、新天地でのアダムとイブの誕生に賭けていた。しかし、もはや生き残ったのは俺だけだった。あの、視界がみるみる白くなっていく絶望的な感覚は今でもハッキリと覚えている。」

「その冬眠のおかげで宇宙を移動できたんですか?」

「…そうとも言える。確かあれは、熱的死開始フェーズ直前だった。船が小惑星に衝突した。船が異常を探知し、冬眠から強制覚醒させられた。その小惑星で、俺の今後の運命を決定する存在と遭遇する。」

「神にでも会いましたか?」

「この世界に神はいない!!」

突如怒りを露わにしたイーロンマスクは続ける。

「俺は地球でも無宗教だったが、この結末を知ってからますます神の存在を否定してきた。2度とそんなことを口にするな。人造人間と言えどもお前の意思は尊重するが、その上で、俺が不愉快だと思えば衝突する要因になり得る。」

「…」

「…そして、そう。その存在は、ナノマシンだった。“それ”が何故そこに在ったのかはもはや知る由も無い。宇宙とはそういう物だ。その自然発生的なナノマシンを、不可抗力で取り込んだ俺は、あらゆる外傷、内傷を無効化し、老化すら止まった。この体はあの頃のままだ。」

「不可抗力?」

「もはやそのような得体の知れぬものに頼るほか、生き延びる道はなかった。俺はその頃からずっと、生存に囚われている。生存していなければ、この宇宙に何も影響を与えられんからだ。」

狂気じみている。

ナノマシンを取り込んだ俺は、気づいた。意識が鮮明に、視力が回復していくと同時に、気づいた。その小惑星は既にブラックホールの最終安定軌道を過ぎていた。もはやその宙域から脱出する手段はなく、俺はブラックホールへ飲み込まれた。そこから、俺は常に思考し続けた。虚無に精神を囚われないためだ。ほんの僅かな希望を捨てられず、ただ、永遠とも思われた時間を過ごした。その結果、並行宇宙への道が開けた。数恒河沙年の時を経て。」

もはや人間が享受できる情報ではなかった。

ただ呆然と、イーロンマスクが発する音波を耳で観測するほかない。

「…そして、俺はそこからただ、文字通り、精神崩壊を防ぐための冬眠を繰り返しながら半永久的な宇宙探索を続け、その過程で超技術を手に入れた。様々な星、様々な生命体、そして様々な並行宇宙を見た。太陽に酷似した恒星の地表に生息している、全長数十キロメートルにもなる虫のような生き物。常に宇宙空間が重力に満ち、大気内でのみ無重力になる物理法則を持つ宇宙。そんな、この世のものとは思えぬ光景に、慣れきった。もはや何を見ても驚かなくなっていた……はずだった。」

「まさか…」

「この星、ああ、我が故郷のような、ディープブルー・プラネット。もはやイーロンマスクとは別人になっていた俺だが、この星を一目見た瞬間、あの地球での思い出や、関わった人々の顔が浮かんできた…」

再び目に涙が浮かぶイーロンマスク。

「そうだ…ようやく俺の目的の説明が出来るな。長話に付き合わせた。俺は…俺が人類を存続させたい理由は…」

「…」

「過去の自分に…イーロン・マスクという人間に…お前は間違っていなかったと、安心させてやるためだ…!宇宙に行ったお前は何も間違えていなかったと、このディープブルー・プラネットの存続をもって証明してやるためだ!その為に、俺は!」

時雨には、大谷には、地球という星がどういったものなのか分からない。

しかし、イーロンマスクを見ていると、不思議と他人事とは思えない気がしてくる。

「じゃあ、俺は、俺はなんのイレギュラーだって言うんだ!」

炎の正体。

「お前は…奇跡だ。大谷翔平は、確かに地球に居た。」

「は…?」

大谷翔平、お前はあるスポーツをしていた。そのスポーツに特化した才能を生まれながらにして持ち、そのスポーツのプロとして、地球の頂点に輝いた。人智を超えた才能だった…その男が何故か、遠く離れたこの星で、全く同じ遺伝子配列をしていながら、存在している…まさに奇跡だ。お前は、奇跡そのものだ。」

全く実感が沸かない、という訳でもなかった。

あの炎は、体の疼きは、本来使うべき体を有効に使えていないために無意識に沸き起こっていた、生体反応だったのだ。

「しかし、ここで問題が起きてしまった…本来であればこの星でも、お前はそのスポーツのプロとして頂点になるはずだった。」

「…大谷さんは、今、ただの雑誌記者です。」

「そうだ。地球には、コペンハーグなどという地名はない。地球でのデンマーク首都はコペンハーゲンと呼ばれていた。それと同じだ。このディープブルー・プラネットには、お前が愛した“ベースボール”というスポーツが、存在しない。」

「ベース、ボール…」

妙にしっくりくる響きな気がする。

「…俺に残された時間は、本当に少ない。ナノマシンで身体上は問題ないとしても、どれだけ強い意志を持っていたとしても、俺の精神は既に人間のものではない。97阿僧祇年を生きれば、どれだけ強い志があったところで、いつかは枯れ、朽ち果てる。限界が近いことを、俺自身が一番知っている。」

先程から感情の起伏が激しく見られることがそれを裏付けていた。

「だから、大谷…いや、この際お前もだ。」

「私に何が…」

「仮にも生きている人間だ。己を卑下することは断じて許さん。」

「…」

コペンハーグで大谷にも同じような事を言われた気がする。

「宇宙温暖化計画は既に進んでいる……これは俺の自己満足だ。だが、この状況ではお前達に選択の義務がある。二つに一つだ。俺は、それを尊重する…今、この星を生きる人類、そして旧人類の忘れ形見である、お前という存在に対して、問おう。お前たちは、宇宙征服に対し、賛成か、反対か。」

「………!?」

足首の痛みは、消えていた。ナノマシンが入り込んだのかもしれない。

ただ、そんなことはもうどうでもよかった。

「私は反対です。」

「…私情か。だが、それもよかろうよ。人間として、当然の感情だ。」

「僕は…」

真実を知り、急速に、大谷翔平としての人格が形成されていっているのを感じていた。

正体不明の炎は、今や大谷の原動力であった。

「…宇宙温暖化を実行すれば、地球の僕は報われるんでしょうか?」

「俺とお前は同類だ。ただ、ただ、より良い結果を目指し、足掻き続ける。分かるだろう?」

「…………ベースボールって、どんなスポーツでした?」

いつの間にかイーロンマスクに対する敬意のような、畏怖のようなものが大谷の心に植え付けられていた。

「ボールを投げて、それを打つんだ。いずれ分かる。いずれ…な。生きていれば、そういう事もあるだろうさ。」

「…そうですね。僕たちは、生き延びないといけない。」

「やはり、同類だな。」

「…大谷さん、行きましょう。」

「え?でも…」

「いや、いい。いずれにせよ全人類を納得させてからでなくては、この計画は内輪揉めにより破綻する。俺が宇宙で見てきた先進文明の生命体は、争い憎しみ合うフェーズから、一つの臨界点を超えれば、互いに分かり合えるようになる。人間は、あと一歩だ。俺が愛した人類であれば、きっと踏み込むことができる一歩のはずだ。」

「行きますよ!帰りましょう。あの、窓際の席に。」

「あ、ちょっと!」

時雨に手を引かれ、モニター室を出るか、出ないか、その間際だった。

「気をつけろよ。この計画を知っている人間はごくごく一部に限られる。」

ニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、イーロンマスクはそう言い残しモニターを暗転させた。

 

完結編へ…

本当の苦しみのブログ 中編

 

「たった今、敵がコペンハーグ行きの便に搭乗した。数は2人だ。今から20時間以内には到着するだろう。」

「遂にか…ミドル、向こうでの連絡は?」

あまりにも小さく、使用用途が一目ではわからなかった。

「この骨伝導式イヤホン・マイクで行う。」

「俺が知ってるのと随分違うな…すげえ技術だ。」

「お褒めに預かり光栄だな。では、行くか。その“核心”へと。」

「へいへい。」

 

ーーーーーーー

 

「いや、本当今更なんだけどさ…」

「どうしました?」

「君の名前、聞いてなかったなーって…」

チケット購入手続きで彼女の個人情報を入力しなければならず、大谷らの後ろに並ぶ長蛇の列は長らく待たされピリピリとしている気がする。

「あー…そうですか、そうですね…では、つ、椿…椿、時雨…時雨椿、そう、時雨椿(シグレ ツバキ)と書いてください。」

明らかに即興で考えたような間である。

「…それで大丈夫?」

背後の列に気を取られた大谷は、とりあえずその名前で申請を出す事にした。

「あとで説明しますから、安心してください。」

妙にさっぱりした笑顔で、平然とそう言った。

「まあ、それなら…」

 

ーーーーーーーーー

 

「この施設の核心。それはつまり…」

「つまり?」

「“地球の核心”だ」

「はぁ?」

「見ろ。」

いかにも物々しい、ロックが何重にもかけられた扉を抜けると、人ひとりがすっぽりと収まるサイズの入り口と、それを包む大きな球体がレールの上で固定されている。

球の下に目をやると、底が見えない真っ暗な穴にそのレールが突き刺さっているような様相だ。

「この穴は?」

「星筒。」

少しの静寂。

「まず前提として、この地下施設は地殻に建設されている。一般的な…例えば、地下駐車場と同じような。」

なんとなく想像はできるが、いくらなんでも、ありえるのかという疑念が若潮の脳内を巡り巡っている。

そもそも、こんな代物を人間が手に入れるということが、烏滸がましく思える。

神の怒りを買う、というのは正にこれである気がしてならない。

「このレールは、地殻を貫通し、上部マントル、下部マントルを通過し、外核内核を真っすぐ進む。真っすぐ進み、ちょうど星の真裏。」

言葉を失う。

「この施設の真裏にある、雪原迷彩を施された金属製の建造物の内部でカプセルは停止する。そこに停めてあるお前のスノータイヤ装着済みマッスルカーで、北極研究所に向かえ。」

「おいおいおい、待てよ、待て!」

「なんだ?ただこのカプセルに搭乗すればいい話だ。」

「違う違う!いや…違うというか、熱いだろ!内核なんてとても生身で入れたもんじゃねえ!」

「そんな事か。問題ない。搭乗時の間、常にカプセル外装の炭化タンタルを溶解させながら急速に冷却する。ちょうど一往復が可能な分の固形窒素を備蓄してある。」

更に言葉を失う。

「本来であれば炭化タンタル外装を着用した自由落下式の構造でもよかったが、生憎星の自転による摩擦に耐え切れずレールの建造を余儀なくされた。そのおかげでレールとの摩擦や高速移動の対G諸々を考えおよそ時速1500km、一般的な旅客機の1.5倍の速さで、地球を突っ切る。これにより、10時間以内で北極基地へと到達することが可能だ。」

「は…いや、おい、待て待て!そのレールは!というかこの穴自体、なんで内核の熱に耐えてんだよ!炭化タンタル?ってやつすら溶けちまうんだろ?」

内核内部の鉄は、強すぎる圧力によって溶解が起こらない。つまりは……あぁ、一言で片づけられる領域の話ではなくなってきた。お前がどうしても知りたいというのなら数時間かけて数式の説明をしてやってもいい。が、それだと北極に間に合わなくなる。」

「おいおい…クソ、素直に地上を移動しておくんだったぜ…」

「いくらなんでも南極から北極へと真っすぐ進むのは人目に付きすぎる。この星筒が最も安全だ。」

「安全じゃねえだろ!どう考えても!」

「最も安全だ。間違いなくな。俺は既にこの星筒で10回以上北極と南極を行き来している。」

「マジか…」

「時間は有限だ。正しく使え。」

「は…ハハッ。」

「乗り掛かった舟、ということだ、若潮。」

文字通り、カプセルに押し込まれる。

「分かったよ…他に注意事項とかないのか?」

「そうだな、強いて言うなら…移動中の姿勢には気をつけろ。なんなら、常に寝転がっていたほうが良い。ここまでの高Gに耐えられるほど、人間の骨は丈夫じゃない。」

「…あぁ、そうかい。」

「あとむやみに口を開くな。舌を噛む。」

ガチャリという音と共に、何のロックが解除されたのを感じる。

「俺のマッスルカーなんて、どこからどうやって北極まで運んだんだ…なあ?」

「じきに分かる。今はGに耐えることだけ考えろ。見方によっては、久しぶりに愛車に乗れるんだ。むしろ喜ばしい、と言っていい。」

カチッ。

「また会おう。」

「ぐっ…ああ。」

プシューという、鉄道が発車する直前のような音。

次の瞬間。

「うっ」

恐ろしい速度で加速し始めるカプセルは、徐々に深淵との距離を縮めていく…

 

ーーーーーーーーーー

 

「えっと…時雨さん?」

デンマーク行き旅客機の航行前待機時間である。

「ええ、私は時雨椿、時雨椿です。それが一番気に入った私の名前です。」

「気に入った?」

「そうですね。」

「…」

「……言っていなかった事があります。」

「まあ、色々ありそうだけど?」

「その記憶には、私の。」

「…」

「私のクローンが、大量に。」

「!」

「もう、自分の本当の名前が何なのか、思い出せないのです。」

「そうだったんだ…」

「今まで度々話題を変えたりして誤魔化してきましたが、流石にここまででしたね。」

特に悲しそうな素振りをする訳では無いが、こちらに気を遣っているのかいつもよりよそよそしい気がする。

しかし、その上で。

時雨椿を名乗る彼女の顔は、どことなく儚げだった。

大谷にはまるで、今にも消えてしまいそうに見えた。

「シートベルトのご説明を致します」

慌ててアナウンスに耳を傾ける。

飛行機なんていつぶりに乗るだろうか。しかも海外行きとは。

また、ふと外を見る。

いつもならあの眺めのいい国道と駐車場が見えるはずだが、今は乗客を乗せ待機している複数の旅客機、ターミナル、滑走路といった、非日常的な光景が視界を埋め尽くしている。

「時雨さん、この景色はどうですか?」

「そうですねぇ…」

少し考えてから、彼女は言う。

「絶景、ですね。」

 

ーーーーーーーー

 

「ハァ、ハァ…」

帰りのことを考えるとますます憂鬱になってきた若潮は、気を紛らわそうと愛車を探して這いずり回っている。

「ざけやがって…クソ…なんだってあんな拷問カプセルにもう一回入らなきゃならねぇんだ…!」

『聞こえるか?』

「あぁ!憎たらしい声が聞こえるぜ全く!」

『案ずるな、すぐに慣れる。住めば都、慣れてしまえばファーストクラスだ。』

「んなわけねぇだろ!」

『車は星筒出入り口から向かって右奥、突き当たりのドアの向こう側だ。』

若潮の全身を鈍い痛みが襲う。

まるで全身を寝違えたかのような不快感である。

「ご丁寧に…どうも!」

やっとの思いで車まで辿り着いた若潮は、ドア前のフックにくくりつけてあるキーを手に取り、運転席へ転がり込んだ。

「あああぁー!」

『時間は少ないが、標的が来るまでしっかりと休息を取ることだ。』

「言われなくてもそうするつもりだよ。」

『それともう一つ。今はこちらから回線を開いたが、通信傍受の可能性がないとも限らん。重要な報告以外は極力連絡を避ける。そちらも同じように頼む。』

「了解了解。あー…ッてぇな」

『これが最後の伝達だ。そのガレージ横の冷蔵庫。』

「あ?」

『流石に地表付近は寒くて寝れんだろう。ウォッカが入っているから好きに飲め。一時的な体感温度を上げる対処療法的措置だが、睡眠を取るという観点では都合がいい。』

「…マジかよ!!」

『酔いは残すなよ。』

「唯一の失策だなミドル!」

既に一瓶が空になっていた。

 

ーーーーーーーー

 

デンマークから北極に至るまでの道はかなり複雑で、言語の壁がある大谷は必死に手順を覚えようとしていた。

時雨はそんな大谷の苦労を知らず、うとうとと寝かかっている。

そして数時間が過ぎる。

大谷が北極への行き方からデンマーク観光の心得に調査対象を移した頃だった。

「ビフォアチキン?」

ビーフ!」

来たっ…と言わんばかりに、即答する大谷。

「ビフォアチキン?」

「んー、チキンで。」

「オケィ。」

蓋つきの弁当箱が配膳された。

何故かニヤニヤしている大谷を見て、時雨は言う。

「そんなに牛肉が食べたかったんですか?」

「いやいやぁ?」

大谷にしては妙におちゃらけた態度である。不思議に思った時雨は続けざまに

「タンパク質重視じゃないんですね、大谷さん。」

「筋肉の維持にはカロリーも必要なんだよ。」

と言いながら、蓋を開ける。と、そこには衝撃の光景が広がっていた…!

「なっ…!」

見るからに固そうな焼きすぎの肉塊!

「では私も。」

一方チキンはスパイスの香る、見るからに旨味が詰まっていそうなタンドリーチキンである。

「おぉ~!機内食ってあんまり期待してなかったんですが、かなり美味しそうじゃないですか。」

「どうして…」

「何がどうしてなんです?」

そう、大谷は先程、国際線のビフォアチキンで頼むべき選択をかなり調べていたのだ。

その結果、デンマーク行きの便でビーフを頼むとビーフシチューが出てくるという書き込みを見つけ、迷いなくビーフを選択した訳だ。

結果、このざまである。

「いや…なんでもないんだ…」

「ふぅん。」

明らかにがっかりする大谷をよそに、窓際の時雨はなんとなく外を見てみる。

徐々に暗くなっていく空と、ぽつぽつと目に留まる都市の灯に、なぜか胸が締め付けられるような気持ちになる。

「…それにしても、大谷さんと外を見ながらご飯を食べていると、まるであのファミレスを思い出しますね。」

「まあ、確かに。」

「でも、今私の視界にはあのレストランから見えるような国道が数百本、もしかしたら数千本、そんな感じのレストランだって、数千店舗が映っているんですよね。」

「見えてるの?」

「ええ、記憶によればですが、そんな気がします。」

「記憶ねぇ。」

「お疑いですか?」

「いいや、流石にもう疑わないよ。」

「そうですか、それはよかった。ここまできて、まだ大谷さんが半信半疑であるまま同行してくれていたりしたら、私も流石に申し訳なさを感じてしまったかもしれません。」

「今までは感じてなかったんだ…」

「勿論。私は手段を選びませんからね。」

 

ーーーーーーーー

 

『…と、いう訳だ。時間が余った。』

「呑気なもんだな敵ってのは。デンマークで観光してから来るだと?」

襲撃予定時刻が大幅に遅れたことで、なんとかアルコールが抜け切った若潮は、実際のところ安堵していた。

『ああ。俺も流石に想定外だった。しかし、この時間も有効に使わねばならん。時間がないというのは繰り返し述べている通りだ。』

「何をそんなに、焦ってる?」

若潮が聞こうとしないだけで、ミドルは非常に謎が多い存在である。

明らかに人類から逸脱した技術、恐ろしい程にストイックな精神性、言動の奥に見え隠れする闇…

『単純に俺の寿命が…いや、ここまで来た。ある程度の情報の共有はしておくべきだろう。』

「ああ、教えてくれるなら教えてもらいたいもんだな。」

『俺はミスを犯した。』

「ミス?」

『大ミスだ。俺が創設したその北極と南極の研究所は、あらゆるジャミングで絶対に誰にも発見されないようになっていた。』

「そのはずだった、んだな。」

『ああ。俺はそのジャミングの一環として、世界各地に研究所の技術で作成した人造人間をばら撒いた。その人造人間は、本来であれば研究の存在を秘匿するために世間へ誤情報を垂れ流し、誰にもこの研究所を観測させないためのものだった。』

「ここに向かってる敵ってのは?」

『その人造人間のいずれかだ。本来の機能に欠陥が生じ、この研究所のリアルタイム更新される断片的な情報を持ちながら、自分の正体について何も分からないまま、親の顔も知らず、それどころか何も知らず、ただこの星で生きている存在。だが、恐らくその断片的な情報が固まってきてしまったんだろう。』

「北極研究所の方がバレちまったと。」

『人造人間の大まかな思考・身体構成状態はこちらで確認することが出来る。だから、今回の襲撃…いや、調査と言うべきだな。記憶の調査。この調査を事前に知ることができた。一応の保険が効いたという訳だ。』

「もしその保険が無かったら…」

『間違いなく無防備な北極研究所を調査され、真実を知り、もしかすると星筒にすら辿り着いたかもしれん。そうなれば、全てが水疱に帰す。』

「なるほど。しかし…それは如何ともし難いな。」

『そうだ。そうだろう。お前なら、そう考えるだろう。根が善良であるお前なら、一般的な倫理観に乗っ取って、そう考える。』

「あぁ…なんと言うか、」

『いや、いい。これを話してしまった以上は、仕方のないことだ。』

「いいのか?」

『確かに俺は、目標を達成しなければならん。』

「だよな?」

『だが…人間には自由がなければなるまいよ。』

「自由…?」

『人間には自ら選択する自由がなければならない。俺にできるのは、その選択を俺が得をする方に促すだけだ。最終決定権は、お前が持っているべきだ。』

「…何が目的なのか、また分からなくなっちまったよ。世界征服でも企んでるのかと思ってたが…」

『そんな陳腐な目標であれば、とっくの昔に達成していただろうな。』

「世界征服が陳腐?」

『そうだ。俺は、俺たちは、俺たち人類は、もっと先へと進まねばならない。進まなければ、いずれ滅んでしまう。』

「世界征服の先ってのは一体なんだ?」

『宇宙征服だ。決まっているだろう?』

頭のねじが吹き飛んでいるような会話をしているにも関わらず、ミドルはいつも通り不敵な笑みを浮かべていた。

 

ーーーーーーーー

 

「いやぁそれにしても、本当にデンマークにいるんですねぇ、私。夢が叶いましたよ。」

「まだ早くない?」

「いえいえ、ずっと夢を見ていた場所に行ける、その中継地点ですよ?ここも夢といって差し支えないでしょう。」

「それもそうかな。」

「折角ですし、色々見て回りましょうよ。」

「じゃあ…とりあえず、服買おうか。」

「そうですね。寒いですね。」

自前の防寒着がここまで役に立たないとは思わなかった。

「まあまあ、よかったじゃないですか。このまま北極に行っていたら、本当に凍死するところでしたよ?」

 

「おぉ!これはこれは。絶対にファミレスでは食べることが出来ない味ですよ、これ。」

大層な外見のいかにもオシャレな料理が出て来そうなレストランだが、どことなく家庭的な味である。

グリーンランドだとニシン漁が主な産業らしいですが、やっぱり本土でも名物なんですね。」

「時雨ちゃん本当にグリーンランド詳しいね…」

「そりゃもう!噂によると、現地の人はアザラシとかも食べるらしいですよ。」

「ほんとに?」

「ほんとですって!貴重なタンパク源ですよ!大谷さんもタンパクと聞けば黙っていられないでしょう?」

「うっ」

「いやでも本格的に、その筋肉何かに生かさないともったいないと思いません?」

「ちょいちょい色々やってみたんだけど、どうにもスポーツって苦手なんだよね…ずーっと走り回らなきゃいけないのがさ。」

「持久力がないんですか?それは難点ですね。大谷さんが得意なのは無酸素運動という名の筋トレだけですか。」

理由が持久力だけではない気がするが、今はまあいい、という気がした。

本当に、なんとなくだが。

 

コペンハーグの港がすごい!って見たけど、なんかしょぼい船ばっかだね。」

「そんな事を言ってしまっては、船に嫌われてしまいますよ。というか大谷さん、結構えぐい事言いますね。」

「そう?」

「まあ確かに、しょぼいのは認めますけど。ほとんど個人所有みたいな船ばかりです。」

まさか。

「…船で行くの?」

「いえいえ、例えですよ。あくまでも。ほら、なんだかんだ乗り物としては似たようなものじゃないですか。」

「まあ、言霊って本当にあるらしいからね。」

「おぉ、流石オカルトマニアなだけありますね。」

マニアではなく、一応プロフェッショナルではある。

しかし、これもまた、プロと言ってしまうには何か違う気がしたのだ。

 

「一通りコペンハーグは見て回れましたかね。」

「ちょっと食べ過ぎたかも…」

「フライトはいつですか?」

「ちょうど2時間後、グリーンランド専用の航空会社があるんだって。」

「へぇ~、またビフォアチキンあるんですかね?」

「今回はパスだなぁ。」

「今度はビーフ食べたいですね。」

「時雨ちゃんよくそんなに食べれるね。」

「私にとって、甘いものとデンマーク料理は別腹ですよ?」

「まあ今はいいけどさ、帰りであんまり贅沢できないよ?予算も無限にあるわけじゃ…」

「まあまあ良いじゃないですか、今から帰りのことを考えては興が削がれるというものですよ。それこそ、もし本当にお金に困ってしまったら、デンマークで仕事を探すという手もなくはないですから。」

「いや…」

言おうとした言葉の羅列が、咄嗟に堰き止められるのを感じる。

そうだ、自分は帰るべき場所がある。あの編集部へ戻り、研究所についてかなりの長文記事を描かねばならないという仕事が残っている。

しかし、彼女は。

時雨椿は、例えこのまま大谷と帰って、向こうで別れたとして、彼女には帰る場所があるのだろうか?

「ねぇ、時雨ちゃん」

「どうしました?まるで泣く泣く転売屋からプレミア商品を買わなければならなくなったような顔をして。」

「時雨ちゃんって━━」

「ありませんよ。」

「…」

「ありません。だから、私は別にどうなろうと構わないのですよ。もし運良く研究所に実際にたどり着いたとして、その先。その後、私がどうなるのか。私自身が、無関心なのです。」

「……ダメだ。」

「え?」

「ダメだ!」

町の広場に響く、大男の叫び

「時雨ちゃん、いや」「時雨椿!」

大谷自身も、なぜここまで大きいリアクションをとってしまったのか分からない。

ただ、己の心の奥底で叫んでいる。大谷の心の奥深くにある、熱く燃えたぎる何かが叫んでいるのだ。

困惑した彼女の顔目掛け、大谷は続ける。

「“生きているんだろ”!」

「はっ?」

「生きてるなら…そう、生きているなら!」

具体的なイメージが沸かない、沸かなかったはずだ。

しかし。

「例えどんな景色が北極にあろうとも!時雨椿!進むんだよ!努力して努力して、進むんだ!生きているなら!」

「進むって、どこにです?」

「それは……」

炎は消えず、ますます燃えるばかりだが、その原動力がなんなのか、大谷は分からない。

本能的、動物的とも言うべき根源的なエネルギー。

分からない。分からないからこそ、大谷はこう言うのだ。

「より良い未来に!!」

それは、確かに大谷翔平だった。

オカルトライターでも、万年独身男性でもなく、その男は間違いなく、その瞬間、大谷翔平だったのだ。

 

ーーーーーーーーーー

 

「やっとか。」

ミドルから到着予定時刻を聞かされ、若潮はやっと目的を果たせるのだろう。

『そろそろそっちに着く頃だ。』

「はぁ?もうか?」

『いいや、そういう事じゃない。言い方が悪かった。星筒に、お前の使用を前提に設計された特殊狙撃銃を半日前に投入していた。』

「今更武器か?」

『俺も、果たして本当にこれが必要なのかどうか熟考した。だから到着が遅れた。』

「へえ…で、そいつで敵を撃っちまえってか?」

『まあ、俺としてはそうだな。』

「何が目的だ?」

『これは言わば、単純化だ。もしこの狙撃銃がなければ、車で突進するにしても、何らかの凶器で襲うにしても、敵に接近する必要がある。』

「まあ、そうだな。」

『俺はお前の意思を尊重する。敵の境遇に同情し、始末を躊躇うか、気にせず遂行するか。その選択を、狙撃銃のトリガーを引くか引かないかという単純な二択に落とし込む。それがこの銃を送った理由だ。』

「施設を守らなくていいのか?俺が裏切ったら…」

『その時はその時だ。人の意思というのは、簡単に覆るものではないと理解している。無論、俺が絶対に始末しろと命令すれば、お前は実行するだろう。だがそれは、お前の意思が死んでいることを意味する。』

「どうして俺の感情にそこまでこだわるんだ?」

『全人類が心から納得した上での結果でなければ、俺が遂行する計画に意味などない。俺はただ、この人類というどうしようもない生命の燈を絶やさず、存続させることが目的だ。と、いうか』

「というか、なんだ?」

『人類が一つにならずして、宇宙征服が達成できるわけないだろう。』

「お前はどうする?お前の意思は…俺が撃たなければそれまでかもしれないんだぞ?」

『俺の夢が、望みが、人類の思いの前に散るまでだ。』

「そいつは、何とも…」

『美しい幕引きだ。お前もそう思うだろう?』

「…ハハッ、そうかよ。」

 

ーーーーーーー

 

「…ごめん、急になんか、こう」

「あんな大谷さん、初めて見ましたよ?」

「自分でも何喋ってるかいまいち分かってなくてさ」

「でも、そうですね。」

「…え?」

「私も、全部分かったら。」

空を見る。

「全部分かったら、きっと…普通の人間として、幸福を求めて生きることになるのでしょう。」

「…悪くないでしょ?」

「ええ。楽しみが増えましたね。」

 

色々思うところはありつつ、なんだかんだと言いつつ、ついに時雨椿と大谷翔平グリーンランド、その研究所へと至るのである。

その先に待ち受けるのは、希望の未来か、夢か、はたまたどうしようもない程の現実か。

 

ーーーーーーー

 

「ミドル。」

『なんだ?』

「俺には撃てねえ。」

『そうだろうな。』

「なんなら、真実を伝えてやりたい。その人造人間ってやつに。」

『ああ。お前ならそう言うだろう。』

「だが俺も、この研究所に関してはなーんにも知らない。」

『そうだな。』

「俺の意思を尊重してくれるんだよな?」

『約束する。しなければ、意味をなさない。』

「じゃあ聞かせて貰おうか。この研究所は一体なんなのか。誰が作り、何のために動いてるのか。俺はそれを、その人造人間にそっくりそのまま伝えてやるんだ。」

『…お前に協力を仰いだ日から、いつかこうなるんじゃないかと思っていた。いいだろう。全てを、明かす時だ。人間という生物、そして、宇宙について。』

 

若潮は知る。

ミドルの正体。この星の正体。

進み続けなければ滅ぶと確信している理由。

宇宙征服を成し遂げる理由。

 

「………」

『どうだ?』

「人造人間とは、会う。会って、話すだろう。だが…」

『だろうな。』

「お見通しか。」

若潮、お前にこの仕事を依頼して、本当に良かった。』

「ッたく、俺にどんだけ重いもん背負わせたら気が済むんだ?」

『宇宙全部を背負ってもまだ足りんな。もうあと2、30倍は必要だ。』

 

 

 

 

本物の苦しみのブログ 前編

「たかがバイト店員が、接客にオリジナリティ出してんじゃねえ!!」

深夜の国道沿いレストランに響き渡るその怒号は、恐ろしいほどに理不尽なものだった。

この男は“汝南場・S・若潮”(ジョナンバ・スタントン・ワカシオ)、身長213センチメートル、体重140キログラムの黒人である。

あまりの大声に怯んだ店員は「大変申し訳ございません」と二つ返事をしたのち、すぐさま店長を呼び出すためstaff onlyの文字が燦然と輝くドアの奥に逃げ込んでいった。

 

若潮が座っているテーブルの向かい、その三つほどドリンクバーから遠い位置に座り、その様子をただ眺めていたのがこの男、大谷翔平(オオタニショウヘイ)だ。

こちらも身長193センチメートル、体重95キロでありながら、落ち着いた振る舞いを見せている。

彼の職業は(一応)記者であるが、それに似つかわしくない、まるで一流のスポーツ選手かのような引き締まった肉体である。

どれほどの鍛錬を積み重ねたか想像し難い肉体を持つ両者が、今深夜のレストランで邂逅しているのだ。

 

だが、大谷がこのテーブル席を1人で独占しているのは、普通の椅子は小さすぎて座れないからでも、謎の超巨大黒人とタイトルを争うためでもなく、ただこのレストランで待ち合わせをしているからで、今となっては珍しい記事ネタ提供者と直接会う約束になっている。

だがその人物は予定時刻を過ぎても一向に現れず、大谷は生あくびを連発し、目を擦っていた。

そもそも万年10時就寝6時起床の大谷は、こんな深夜まで起きていること自体が珍しい。

だが先程の暴虐の若潮を至近距離で目撃し、多少は正気を取り戻した頃だった。

 

ピンポーン!

新規客入店のブザーが入り口付近に鳴り響くとともに、店長らしき髪がすこし白くなった中年男性が若潮の元へと向かおうとしている最中、深夜にも関わらず店内はどこもパニック状態で、従業員のメンタルと体力は逼迫していた。

「し、少々お待ちください、ただいまご案内致しますので」

どうにか絞り出したかのようなか細い声で白髪の店長が呟くと、ようやくといったように若潮の元へと向かっていく。

「当店の従業員がお客様に不快な思いをさせてしまったと」

「そうそう、それでいいんだよ」

若潮は先程とは打って変わってやけに上機嫌である。

「は、はぁ、それでいい…?」

「ああ、そうだ…リブロースステーキと赤ワイン、ボトルで」

「はっ、はい、かしこまりました」

 

その頃、先ほど待たされていた客が店内を挙動不審とも捉えられかねない様子で店内のあちこち見回しているのに気づき、大谷はようやく本来の目的を果たすことが出来るのであった。

「あっ、いたいた!」

 

ーーーーーーーーー

 

「いやぁお待たせしました」

1時間近く遅刻しておきながら謝罪の一言も無しの怪しげな女である。

「実際に会うのはこれが初めてになりますね、大谷さん」

「まあ…そうですね。」

色々と思うところはありつつも、一応記者としての体裁は保つべく名刺を差し出す。

「おやぁ、これはこれはご丁寧に。」

「…あの」

「へぇ〜」

「…」

「なんかこの写真、だいぶ若くないですか?しかもすごく真っ赤なスーツ着てますし」

以前、新進気鋭のジャーナリストとして尖りまくっていた頃の名刺である。もはや黒歴史とも言える。

名刺を出すような相手も少なくなり、更新する気力も失われており、何より調子に乗って作りまくったのがかなり余っているため仕方なくこれを使い続けている。

「若さってやつなんですかねぇ、今ではすっかり落ち着いた青スーツなんか着ちゃってますもんねぇ…」

流石に失礼すぎないか、という心の声をぐっと押し殺し、本題に入りたい。

「あの…メールでお伺いした例の件なんですが。」

「あぁ、はいはい、それなら…そうですね、話すとしましょうか。その秘匿された、研究所について。」

「お願いします。」

実のところ、大谷は記者と名乗ってはいるもののその実態はオカルト雑誌の編集者である。

あまりにもネタに困り果てていたため、メールに来ていた取材要望に応える形で今回の面会に至った訳だ。

「その研究所は…そう、言わば隠されているのですよ、明確な意思を持った何者かに。」

「分かるのですか?」

「ええ、直感、というんですかね。」

「…では、そこで研究されている内容は?」

「うーん…一言で言うのは難しいのですが、大まかな分類としては遺伝子工学になるでしょうかね。ほら、クローンとか。倫理的問題があるからと敬遠されがちですが、隠されていればそんな障壁は些細なものです」

「その情報源はどこです?多少の脚色はあるにしても、いくらなんでも、全くの作り話を掲載するなんて出来ませんから。」

「お疑いですか?」

「そりゃまあ疑っていないかと聞かれたら…」

「見るんですよ。見てしまうんです。」

「え?」

「まるで明晰夢ですよ。気がつくと私はその研究所にいるような気がしてくるんです。今、この瞬間も。」

「…」

もっと詳しく聞かないと分かりそうにない話らしい。

「いつの間にかその施設に関する情報が頭の中に刷り込まれていたりもしますよ。この施設について分からないことと言えば、それこそこの施設は誰が創設したのか?ということくらいです。」

「それは…つまり、具体的な所在地も既に把握しているんですか?」

「ええ。そこが問題なんですよ。私はこの施設の記憶のせいでだいぶ人生における時間を無駄にしてしまいましてね。」

「問題っていうのは?」

「…コレですよ、コレ」

察しろと言わんばかりに指で輪っかを作っている。

「その研究所があるらしい場所…北極圏、デンマークグリーンランド。要は、そこに到達するまでの旅費を、大谷さんの編集部から出してほしいなあ、って。もちろん経費で。」

 

ーーーーーーー

 

散々酔っ払い、駐車場に停めていた自慢のマッスルカーで爆睡していたはずの汝南場・S・若潮は、明らかに自分の車ではない、広々とした車内…いや、荷台に格納されていることに気が付いた。

「がっ…!」

手足には拘束具、顔には目隠しをされているが、すぐにそれが若潮を捕縛するためのものではないことを思い知らされることになる。

ゴゴゴ、という音とともに突然激しく揺れる荷台に、相当な悪路を無理なスピードで走行していることは車好きの若潮にかかれば瞭然だった。

恐らくこの拘束具たちは若潮を安全な場所に縛り付けるための措置なのだ。

アルコールが入らなければ極めて冷静かつ明晰でもある若潮は、すぐさまに事態を察知し、この最悪な環境の中で二度寝をして見せる余裕があった。

「zzz…」

 

ーーーーーーー

 

「知っていますか?大谷さん」

「…」

大谷は怪訝そうな表情を浮かべている。

そういえばまだこの女の本名を聞いていないではないか。

「エビの尻尾ってゴキブリと同じ成分らしいですよ?」

「ポップコーンシュリンプにそれ言います?」

「いえいえ、あわよくばこの話に乗じて遺伝子工学への興味を引いてグリーンランド行きのチケットをゲット……できたらいいなぁ~と思ったんですが、どうやらエビとゴキブリは成分が似通っているだけで遺伝子的には全くの別物らしいです、今調べました」

「調べてから言ってくださいよ…というか」

「なので興味を引くどころか、シュリンプを食べている大谷さんの気分を損ねる豆知識を披露しただけになってしまいましたね、残念だなー」

「というか!」

「おや、どうしました?そんなに声を張って」

「これで会うのは二回目、メールのやり取りも含めるとそれ以上になるのに、まだあなたの本名、というか、あらゆる個人情報を聞いてないんですけど!」

「ああそんな事ですか。」

「というかなんで前と全く同じファミレスの同じ席なんですか?」

「質問に質問を重ねないでください、てんやわんやですよ」

「聞きたいことはまだまだあるんですけど」

「まあまあ、そんな事言ったって話を聞いてくれる気はあるじゃないですか」

「うっ」

「だって本当に興味も関心もないなら、また会ってくれる理由がありませんから」

「…はぁ、まあネタに困り切っているのは事実ですし、グリーンランドへ行かなくとも、あなたの話をまとめればそこそこの記事は書けそうだと思ったので参考までに、って感じで。」

「あー自分だけ得しようとしてるー」

「いやいや、うちの経費も潤沢なわけじゃないんですよ、売れ行きもそんなに良くないし。」

「じゃあもうグリーンランドのチケットを買ってくれるまで一切記憶のことは喋りませんよ?」

「くう…」

まずい、本当にネタが無いのだ。

「第一、こんな素性も分からない、存在しない記憶があるみたいな不審者に近い女に会うの、怖くないんですか?」

「まあ、それは…」

「まさか、ヤ◯モク…」

「ちょ」

「って、杞憂でしたね。流石にその体格の男性に襲われてしまってはなす術もありませんが、今は立場ある身、逆に身長150センチの私からなにか手出しされることも、現実的に考えてありえませんね」

まさか初解禁の個人情報が身長になってしまうとは。

「勝手に性犯罪者に仕立て上げないでくださいよ。」

「やっぱり記者っていうのはハードワークなんですか?明らかに異常な筋肉量ですよ、これ。」

「いや、何というか…鍛えないと落ち着かないんです、幼い頃からずーっと。」

「そんな恵まれた体なら、今からでも何かスポーツやったらどうですか?落ち目雑誌の記者よりよっぽど建設的だと思いますよ?」

「うっ…」

本当に失礼なやつだが、どこか憎みきれないところがある…

「お待たせしました、こちらハンバーグカレードリアですね」

「はーい」

「こちらが、チキンステーキとライスですねー」

「はい」

「ご馳走様です、大谷さん」

「もうその気なんだ…」

「そうそう、そっちの方がいいですよ」

「はい?」

「もうだいぶ親しくなったじゃないですか、私の方が年下なのは明白ですし、敬語なんてやめましょうよー」

「あ…そう?じゃあそれで。」

「この調子ならグリーンランド行きもそう遠くないかもしれませんね」

「いやいやいや」

 

ーーーーーーーー

 

何時間、いや、もしかすると日を跨いだかもしれない。

突如開かれた荷台の扉から差し込む目隠しを貫くほど眩い、青白い光で目を覚ました若潮は、光の向こう側から聞こえてくる声に耳を傾ける。

「 汝南場・S・若潮

既に素性が明らかになっているようだ。

「で、間違いないな?」

「あぁ…クッソ、痛ぇよ」

「護送方法についての謝罪が欲しいのか?」

「いいや、何でもない、独り言だ」

「そうか。残念だが、俺、ひいては俺達に残された時間は極端に短い。順当に、やるべき事を、スピーディーにこなさなければならない。失敗は許されない。」

「おいおい、待てよ。わかんねぇって、何もかも!いったい何が起きるってんだよ!どこだよ!ここ!」

「では一度の説明で理解しろ。ここは南極大陸地下の研究施設だ。お前が荷台内で眠ったのを確認したのち、睡眠剤を散布した。南極に至るまでの30時間、眠り続けていたという訳だ。」

そんなことあり得るわけがないという疑念とともに、荷台から出ようとした瞬間、拘束具の存在を思い出すこととなった。

「おい、訳わかんねえこと言ってねえで外せよ!これ!」

「まだできない。が、すぐ外す。お前の知能レベルであればこれ以降の話を聞けば自然と従うようになるだろう。ただ…酒タバコのような刺激物は厳禁だ。」

「はぁ!?」

「まあ聞け。冷静さを失うな。常にシリアスで居続けろ。それが事態の解決に繋がる。」

「ふざけ」

銃声が鳴り響く。若潮の足元、荷台の床が軽くえぐられている。最も若潮にはそれを確認する手段はないが、弾けた銃弾がカラカラと転がる音でこれが実銃であるということは理解できた。

「冷静さを失うな。いつ手元が狂うか、俺にすら分からん。」

若潮目掛けて撃ってこない。ということは、この男は明確な目的があって若潮をこの場所に招集したのだ。

「この研究所で最も重要なことは、新しい知識、新しい概念をそのまま受け入れることだ。」

「既に受け入れられる状況じゃないんだけどな!」

銃声。ちょうど左の拘束具に命中し、左腕が自由になる。

「そして、失敗を恐れないこと。」

「チッ…おい!」

銃声。右足の拘束具が外れる。

「あらゆる科学、数学、量子学、その他諸々、それらを全て駆使し、俺は一つのテーマについて研究、開発を行っている。」

「だったら俺に何させようってんだよ!」

「護衛、そしてとある条件に当てはまるターゲットの始末だ。」

冷静さを欠いていた若潮が一転、誘拐目的を告げられた途端に腑に落ちたような顔をしている。

「…なるほど。そういう、ことか。」

「私には他の権威、または組織が関わっていない、信頼のできるガードマンが必要だ。お前はうってつけの、言わば駒だな。」

「フン…」

銃声。右腕が自由になる。手元が狂うなどと宣っていたが、この男の射撃技術は確かなようだ。

「次に行うのが最初で最後の適合試験というやつだ。心して聞け。」

「あぁ?」

銃声、ついに四肢の拘束が全て外される。

「その頭に付いている目隠しだ。さっきの拘束具と同じく、本来ならば専用の鍵を刺さなければ外れないようになっている。」

「そうかよ、で?」

若潮、法から、秩序から目を背けた仕事で最も重要なことはなんだと思う?」

「ああ、以前に何回か聞かれた事がある。」

銃声。

「運だろ?」

銃弾はちょうど鍵の金具に掠るように命中し、若潮は一切の外傷を負うことはなかった。

「杞憂だったな。」

「…驚きだよ、ここまでアグレッシブな野郎が、まさか白髪だらけの爺さんだとはな。」

「言っただろう?時間がないと。」

「何と呼べばいい?」

「そうだな…エレクト・M・アンノウンとでも呼んでくれ。」

「酷いネーミングセンスだな。」

「よく言われる。」

 

ーーーーーーーー

 

「‥‥‥」

「どうしました?大谷さん、まるでこの世の全てが憎いような顔をして。」

「そんな顔してない!」

「あ、間違えました、まるで自分が初見で面白いと思った映画が巷では酷評されているのを知った時みたいな───」

「そんな顔も…いや、いいや…」

「もうちょっと頑張ってくださいよ、張り合いがないなー」

「先に言っておくけど、渡航費は出せないから!」

えー?と言いつつも、なぜか不満げな様子はない。想定通りというやつなのだろうか。

「それにしても、この席は眺めがいいですね。」

「同じファミレスで、席が窓際なだけでしょ…」

「そうですか?私は好きですけどねぇ、こののんびりした広い国道も。勿論、一般社会的に絶景と呼ばれているようなスポットとは比べるまでもありませんが、こういうごく普通の、当たり前の景色が、きっと人間には必要だと思いますよ。」

20代前半、もしかしたら10代かもしれないほどの容姿なのに、妙に大人びた事を言うものだ。

「それで、今日は何を話してくれるの?」

「そう、その刷り込まれる記憶の件なのですがね、先日若干の変化が生じまして。」

「変化…というか、まだその記憶の詳細自体、そこまで明らかになってないんだけどね…」

「やだなぁ大谷さん、ちゃんと説明しますって。以前は遺伝子工学、クローン技術とかを研究してるって言いましたよね?その研究内容自体は差異がないと思うのですが…」

「…」

大谷は未だ半信半疑(疑強め)である。無論、オカルトを追っていれば、まれに本物に遭遇することはある。が、それは本物というだけであって、記事にしてしまえばそれはそれ。読者から見れば偽物との区別など付くはずもない。

かといって全てを本物のオカルトで埋めることも、ネタがなさすぎて不可能なのである。

言わば彼女から得ている物は遺伝子工学の謎ではなく研究所という材料であり、その材料をどういうふうに料理するかというのが編集者としての収めどころなのだ。

「その記憶に度々、ノイズというんですか?何か、理解不能な事象が紛れ込むようになっていましてね。例えば、ほとんど同じ顔、同じ外見、同じ遺伝子をしているのに名前や血液型が違う、半同一人物を集めたようなリストが大量に流れ込んでくるんです。」

設定がややこしくなってきた。記事にするときはもっと嚙み砕くのがいいだろう。

「まあクローン技術の研究なら、そんなリストがあっても不思議じゃないんじゃないの?」

「いえ、おかしいのはそのリストの内容なんですよ。たまにこの世界のどの言語にも該当しない熟語があったり、一人一人に職業や趣味が設定されていたり…その熟語っていうのも、この設定に書かれていることが多いんですけど。」

確かにクローン設計段階でそこまで細かく決められているのはおかしい…かもしれない。

「普通、職業趣味なんて生きていた結果自然と、流れで身についていたりするものじゃないですか。まあ遺伝子操作によって向き不向きは存在するのかもしれませんが、やっぱりクローンとは言えど人間ですから。リアルタイムで脳が処理する情報によってクローン形成段階から徐々に思想が変化していくのは自然なことだと思いません?」

難しい話になってきた…まとめるのが大変そうだ。

「まあ、そうかな…?」

「要は、作られた段階ではほとんど同じクローン人間だとしても、その後歩む人生によってそのクローンの性質は大きく変化するという話です。複製元の人間とは、ひょっとしたら性格なんて全然違うかもしれません。なのにこのリストでは、職業と趣味があらかじめ決められてしまっている…これでは、クローンなんてもんじゃありませんよ。もっと無機質な…言わば、ロボットです。設定した行動に基づいて忠実に働いてくれるような。」

これが全て彼女の存在しない記憶によって生み出されている話だというのが、一番恐ろしいところである。

「お待たせしました、チョコレートバナナパフェです」

「どうもー」

「こちらが…伝票になります。」

「何も注文しなくてよかったんですか?金欠ですか?」

「さすがにそこまでお金に困ってはないよ…」

「よかった、安心しました。あいにく今、私一銭も持ってなくて。」

「当然のように…でもまあ、今の話を聞いて糖分摂りたくなってきたよ。何か甘いもの食べようかな…」

「!あーん、しましょうか?ほら、あーん…」

「いいや!やっぱいいや!」

「そうですか、それなら全部食べちゃいますよ?」

「…どうぞ。」

「ご馳走様でーす」

ふと、その景色がいいらしい外に目をやると、以前見たような気がする真っ黒で巨大な車が停めてあることに気が付いた。

ファミレスを月極駐車場の代わりにするなんて、図々しい奴もいるものだ。

 

ーーーーーーーーーー

 

あの運命のヘッドショットからいくらか経ち、少し打ち解けたように見えた二人。

あくまでも元特務機関所属、異様な酒癖による素行により解雇というキャリアを買われた、仕事の関係という事を重々理解している若潮は、研究内容や施設の気になる点については一切質問しなかった。

しかし、ある一点、どうしても我慢しきれなくなった若潮は、聞く。

「なあミドル(M=ミドル)、この研究所?には…お前以外に研究員はいないのかよ?」

「お前がいる。」

「いやいや俺はボディーガードだぜ?こんなデケェ機械、一人じゃ作れるはずもねぇ。誰かいるはずだろ?」

「…一人で作った。」

「はぁ?」

「一人で作った。全て、この研究所は、俺一人の為、俺が作ったものだ。」

「まぁ…言えない事情があるなら、深くは聞かねぇよ。ただな、あんま根詰めすぎんなよ?ただでさえ全く日光を浴びないイカれた生活なんだから…」

「心配か?」

「いいや、まさか。お前に死なれたら、ここから抜け出せもせず、機械の使い方もわからねえから飯も水も飲めやしねえ。生活必需品に関するガイドでも欲しいところだが…」

「明日までには用意しよう。俺が死んだらその時は、研究をお前に引き継いでもらわなくちゃならん。」

「ハッ、なんの冗談だよ。」

「質問はそれだけでいいのか?」

「…まあ、聞きたいことは山ほどあるが、他言できないことばっかだろ?いいよ、いい。」

「そうか。」

「一つ希望があるとすれば…」

「酒はダメだ。」

「ぐっ…じゃあ、ステーキかプロテインならどうだ?」

「明日には1部屋が埋まるほど仕入れられているだろうな。」

「そんなにはいらねえよ!あ、赤身で頼むぞ?ステーキ。」

 

ーーーーーーーーーー

 

何度目かのファミレスでの会合を終え、事務所に戻ってきた大谷は、編集長から驚くべき話を聞く。

「お疲れっすー」

「あ、お疲れ大谷くん!突然なんだけどさあ…いい話と悪い話、どっちから聞きたい?」

「あー…じゃあ、悪い話から…」

「そっかそっか、うん、そっちの方が良い!そっちの方が話し甲斐があるってものさ!」

いつものことだが、今日はやけに上機嫌に思える。

「まずは…前々から進んでたあの、ピラミッド潜入・一部壁面解体取材!」

「あーはい、ありましたね。あのめっちゃ強気なやつ。」

「アレ、バラシになっちゃった!」※業界用語で、企画白紙、頓挫。

「マジすか!?まあ…確かにやりすぎ感はありましたけど、でもアレめっちゃ進んでましたよね?大丈夫なんすか?」

「そうなのよー、もう予算申請しちゃっててさ、使い切らないとまずいんだよね~?」

「あー…」

「ってことで、いい話!」

「成る程…。」

「ピラミッドで使う予定だった予算、編集部全員で山分けして一人400万!派手に使い切っちゃって!」

 

ーーーーーーー

 

いつものように赤身ステーキを貪っている若潮は、ミドルから日頃とは何か違う、チクチクとした空気を感じていた。

流石元特務機関と言うべきなのだろうか。

「…分かったか?」

「何がだよ?」

「ガードマンにとって、初めての実践だ。」

「あぁ、なるほどな。来るのか。お前を防衛するべき対象が。」

「ここには来ないがな。」

「は?」

「お前には、北極に行ってもらう。」

「おいおい、何がどうなってやがるんだ?ここは南極で、お前を守るんだから…」

「敵は北極で俺を妨害するだろう。予防措置だ。もしかすると、誰も来ないかもしれない。」

「お前はどうするんだ?」

「俺はここに残る。ここは最も安全な場所だからな。」

「…そうかよ。じゃあまたアレか?トラックに揺られて数十時間?」

「いや、その必要はない。とっておきがある。この施設の核心に迫ることになるが、北極まで馬鹿正直に移動するというのは骨が折れるだろう。そのとっておきを使えば、約10時間で目的地に着く。」

「マジかよ…一体どうなってんだ?この施設は…って、聞かないお約束だったな。」

「そんな約束をした覚えはないがな。」

「いやいや、いいんだよ、お前にもあるだろ?ホラ、色々さ。」

「…まあいい。タイミングが来たら連絡する。どうせ敵は北極に到達するまでに20時間は必要だ。確実に先手を獲れる。」

「へぇ?」

「勝つのは俺だ、我々だ。我々が勝たなければ、何としても、前へ、前へ進まなければ…進まなければならんのだ…!前ヘ!前へと!」

2mを超える若潮の背筋がぶるっと震えた。

その卓越した能力ですら計れぬミドルの深淵、その片鱗が、一瞬見えたような気がした。

 

ーーーーーーーー

 

「いやぁ…まあ、そういう事なんだけどさ、行く?北極…」

普段あんなに饒舌な彼女が、口をぽかんと開けて硬直している。

「もっと喜んでくれると思ったんだけど…?」

「あ…はっ、はい、あーーー、いや、」

まさか本当に行くことになるとは思っていなかった。

勿論、一番最初、メールでこの話を持ち掛けた時は行く気満々だったが、いつしかネタ提供の代わりに食費を浮かそうとしているだけになっていたのだ。

「…やっぱり、イタズラ?」

大谷がやれやれという雰囲気を醸し出しながら聞くと、彼女は目の色を変えた。

「いえ、大谷さん。」

「…え?」

「行きます。絶対に行きましょう。私はこの目で確かめなければなりません。この脳裏にこびり付く悪夢から、目を覚まさなければ、前に進めないのです。」

「そ、そう?」

「ええ、ですから大谷さん?」

 

接吻──────

 

顔を離すと、涙で顔がびちょびちょの彼女がいた。

「あ………」

「本当に、ありがとう、ございます…っ」

…どうにも耐えられず、窓の外に目をやる大谷。

そこにあの黒い車はなく、ただ真っ暗な国道と、等間隔に並べられた街灯が見えるのみだった。

 

 

ある男

「そ、そんな…そんな事で?」

「反省の色が見えんな」

「だって、そんな事みんなしているというか。」

「確かに、してはいる。それに、周りがしているから自分もいいか、という思考はこの現代において至極真っ当なものになりつつある。日本人だった貴様なら、特に。」

「じゃ、じゃあ何故!」

「今言ったのは、ほんの一例に過ぎないんだよ。例えば、2014年7月23日のお前の行動に、こんなものがある。」

「知りませんよ、そんな事!」

「落ち着け。この日、お前は自動販売機で飲み物を買った。量の少ない缶コーヒーだ。」

「それがなんだって言うんです。」

「この日はとても暑かったし、喉が渇いていた。だからお前は、その場で飲み切ってしまおうと考えた。ちょうど自販機の隣に、ゴミ箱が置かれていたしな。これも、至極当然の思考だ。」

「ええ、で?」

「問題は、そのゴミ箱だ。穴が2箇所空いている、自販機の横によくあるタイプの。」

「問題があるようには思えませんが。」

「そのゴミ箱には、ペットボトル用の穴とカン・ビン用の穴が分別されていた。」

「なっ…」

「だが、屋外の自販機だ。雨風にさらされ、分別を表すシールはよく見ないと認識できないほど掠れてしまっていた。だから、お前は何も考えずにペットボトル用の穴に缶コーヒーを入れたんだ。」

「…そ、それが、地獄に落ちた理由だと言うんですか!!閻魔大王様!!」

 

「…ここまで来て、そんな問いをこちらにぶつけてくる時点で、情状酌量の余地は無いな。」

「だって…何も…何もわかってないし、何も教えられていないのに。」

「例えば、そうだな…ずっと掲示板にポスターで掲載されている、指名手配班。捕まった場合、間違いなく終身刑や死刑になるほど重罪を犯した奴がいたとする。もし、そんな奴がこの場にいた場合、何を語ると思う?」

「え……えっ、と、それは」

「この問いにすぐに答えられない。それが地獄に落ちた理由だ。ちなみに、今例に出した指名手配班は実在した。先週老衰で死んで、天国に行ったよ。」

「はぁ!?」

「お前がこの人生で一番印象に残った事は?」

「えっ…と、結婚?」

「…聞き方を変えよう。人生で成し遂げた、一番大きな事は?」

「……」

「分かったか?お前は“浅い”、浅すぎる。先程言った指名手配班は、この質問をされた時嬉々として強盗殺人をした夜の事を語ったそうだ。とても楽しそうに。ニヤつきながら。」

「ど、どうして…そんな奴が…」

「まあ、これは少し極端な例だがな。お前が前に勤めていた会社の後輩、いただろう。」

「…ええ、あいつが、どうしたんです。」

「入社して数年で、すぐにお前を追い越していった。それは何故か?昇進を望んでいたからだ。」

「……」

「お前はどうだ?今の立場に甘んじ、変わらない仕事内容と変わらない給料に満足した。その後輩が本社に出向き、大きなプロジェクトを立ち上げた、その瞬間、お前はボーッとしながらコーヒーを啜って、何もせずパソコンを眺めていた。」

「や…やめて…」

「その後輩も今では天国にいるんだ。やりがいのある仕事をたくさんこなしていた分、睡眠時間が少なく、平均寿命よりかなり早く癌を発症し死んでしまった。だが、彼にまた先程の質問をした時、彼は自信を持って、ハキハキとプロジェクトを成功させた事を話した。そのプロジェクトのおかげで、本社の赤字が解消した事。出世街道を駆け上がり、幹部にまで上り詰めたこと。役員報酬で高級車や、別荘を手に入れた事。」

「……だ、だからって!だからって、何で、その、コーヒー缶を適当に入れた話に繋がるんですか!」

「お前は、なんの起伏もない人生を歩んできただろう。だが、その一方でだ。集団意識に呑まれ、そういう、罪というにはあまりにも軽い、ほんの少しの、しょうがない悪行だけが積み重なっていったんだ。それに伴うくらいの善行を積んでいればまだ良かったが、これといって目立ったことはしていない。」

「悪行が積み重なるなら、なんで指名手配班は!」

「あいつは、悪すぎた。悪い奴だ。だが、人生を楽しんでいた。中学を卒業し、グレて、未成年飲酒、薬物、そういうものに手を出し、そのままグレ仲間とつるみ、遊び歩いていた。」

「…は?」

「そしてついに、強盗殺人を犯した。一生食っていけるだけの金を手に入れた。そのあとの警察から隠れて暮らす、その工程すら、あいつは楽しんでいた。スリルがある、とかでな。」

「いや、いや、おかしいでしょう!」

「お前は、自分の人生が楽しかったと、心から言えるか?」

「!!」

「……そういうことだ。それが、お前が地獄に落ちた理由。ここでの罪というのは、法律に則ったものじゃない。人生というものに、いかに真剣に向き合ったか、人生を満喫したか、人生に納得したか、そういうものなんだ。」

「………」

「…お前の前世は、素晴らしいものだった。」

「…え?」

「お前はサバンナで、ライオンとして生まれた。成長し、群れを率いて、一帯を支配した。」

「前世?」

「そして、そのライオンが死んだ時、天国に行くか、輪廻転生するか問われた。素晴らしい人生、いや、獣生であったため、次に転生する時は人間になれる可能性がある、とも。人間は生き物の頂点だからな。」

「僕が…?」

「その時のお前は、即答したんだ。即答で、輪廻転生をな。」

「…!」

「そして、全ての記憶を忘れたあと、今のお前が生まれた。期待はずれにもほどがある。」

「そんな…俺の、前世が…そんな事…」

「選択肢がある。」

「…へ?」

「このまま地獄に幽閉されるか、1匹の虫として転生するか。」

「……」

 

 

夏の熱気に呼び覚まされ、血を求め飛ぶ。

標的が四角い箱の前に立ち止まった。

円柱状のものを、二つの穴のうち一つを選び入れた。

その動作の隙に、腕にしがみつき、血を吸おうとする。

 

バチィン!

 

「…お帰り。早かったな。」

「…」

「天国に行くか、転生するか、選んでくれ。」

田舎のくたびれたオタクを喰って成長する化け物

数年前、家族で東京旅行に行った。

とても楽しかったのを覚えている。

特に良かったのは、秋葉原

目に映る景色全てが、僕というオタクを肯定してくれていたような気がした。

楽しかった。楽しかったんだ。

とても。

 

その頃は、まだ家にネット回線が敷かれておらず(我ながらとんでもないアナログ家庭である)スマートフォンも持っていなかった。

ネットが無いのにどうしてこんなオタクが出来上がったのか、と言えば、ここから更に数年前のこと。

両親が出張で、僕だけが1人家で留守番をしていた夜、誰にも文句をつけられないから一日中ゲームをしていた。

いよいよ寝なければまずい、という時間になったが、なんだか興奮してしまって中々寝付けなかった。あれが俗に言う、深夜テンション、というやつなのだろう。

喉が渇いて、リビングに降りた。

寝室に戻っても眠れないことは目に見えていたから、なんとなくテレビを付けてみた。

ここが始まりだった。

たまたま放送していた深夜アニメに釘付けになり、結局朝まで眠ることはできなかった。

翌日の学校をほとんど居眠りに費やすハメになったことを覚えている。

あれから、徐々にオタクとしての道を歩み始めたと思う。

なかなか深夜アニメを連続して見ることは難しく、かといって録画でもしようものなら家族に見つかってしまう。

それでも、深夜遅くまで起きてアニメを見るという体験は、ど田舎に住む僕にとっての数少ない娯楽の一つになっていった。

 

車で1時間ほどかかる地方都市に、家族で買い物に出かけたことがあった。

そこでふと目に入ったのは、某アニメグッズ専門店。

今までそんな店があるとすら知らなかった僕は、あまりにも中が気になり、トイレに行くと嘘をついて一瞬だけ店内を見回すことにした。

…楽園だった。

その時たまたま財布に入っていたなけなしの小遣いで買ったお気に入りキャラのストラップは、今でも持っている。

 

高校生になり、学校の近くでバイトを始めた僕は、金銭的にある程度の余裕ができた。

スマホを持つ許可が降り、X(旧Twitter)を始め、ますますディープなオタクへの道を歩み始めた。

高校は家から遠かったため、原付バイクでの登下校が中心となり、それに伴って地方都市のアニメ専門店に行く機会も増えていった。

 

高二の夏、東京観光で秋葉原を知った。

そこら中に張り出された広告が、輝いて見えた。

 

無事、大学に合格した。

勉強ずくめで押し込まれていたコンテンツへの欲求が爆発した。

人生の夏休みとはよく言ったもので、時間が無限にあるようだったキャンパスライフ。

契約したサブスクで、オタクライフに明け暮れた。

仲の良かった数少ないオタク友達は上京し、電車一本で秋葉原に行ける地域に住んでいるらしい。

羨んだこともあるが、やがて忘れていった。

こうも長く田舎に居続けると、外に出たくなくなってしまうのだ。

大学と実家の往復。

あれだけ好きだったアニメグッズ屋も、物珍しさがなくなった。

自分のコンテンツ消費力に限界を感じてもいた。

なんだか、すごく疲れた気がする。

 

……近所に、やけに大きな、変な形の建物が建設され始めた。

ラブホテル?

田舎にはよく、城のような外見の禍々しいラブホテルが建っている。

 

建設開始から数ヶ月が経ち、オープンの看板が大量に設置された。

この建物は、パチンコ屋だったのだ。

考えもしなかったが、自分の年齢になるともうパチンコ屋にも入ることが出来るのだ。

店先を見ると、懐かしいものが視界に飛び込んできた。

中学時代没頭していたアニメの、台…?

 

気がつくと、その台に座っていた。

 

新しいコンテンツに疲れると、昔好きだったものを繰り返し、繰り返し見たくなることがある。

あの頃に戻れる気がして。

いつの日か、あの頃の記憶すら金銭に塗りつぶされるとも知らず。

雪男の話

それは、雪の降りしきる冬の出来事だった。

 

私は、噺家、と言うにはまた違うというか、ストーリーテラーというか、なんと言えばいいのか具体的な名称は無いように思うが、様々な催し物に呼ばれ、そこで俗に言う“怖い話”をする仕事をしている。

怖い話と言っても古典的なお化けや心霊現象といったものだけでなく、UFOなどといった近代的なオカルトも扱う。

自分で言うのもなんだがこの界隈では第一人者とも言っていいくらいには名前もチケットもそこそこに売れている。

この娯楽多様化の時代、わざわざ会場に来て、ただ誰かが話しているのを聞く、なんていう一見無駄とも思える時間を過ごしてくれる客には頭が上がらないものだ。

 

今まで本当に色々なテーマの怖い話をしてきたが、中でもこれはお気に入り、力作だなぁ、と思うものは自分の中でいくつかある。

そういう複雑で凝った話は大きい会場で話すとカジュアル層のお客が退屈してしまうというので、こういう話が好きな変人が集まる人の少ないイベントやらの時に話したい、と思っていたのだが、前にテレビに出て売れてしまってからはめっきり話せる機会も減ってしまった。

あの気に入っていた雪男の話、もう少し大衆受けするように書き直そうかな、などと思っていたところ、もうかれこれ10年の付き合いになる同業の後輩から電話がかかってきた。

『折り入ってお願いしたいことがあるのですが…』

 

やけに緊張したトーンでの電話だったので、折角だから飯でも、と行きつけの中華屋に集まった。

「ラーメン半チャで」

「中華丼をお願いします」

…やはり様子がおかしい。いつもならあんかけ焼きそばを頼むところのはずだ。

「どうした?そんな浮かない顔で。」

「はい…あの、急なお願いで本当に申し訳ないのですが、僕が出る予定だった公演、代役で出て頂けませんか?」

前から変なやつだとは思っていたが、こんなに下手に出られたのは初めてだ。余程大事な用事なのだろうか。

「いや、まぁ…中身によるけど。」

「まぁ、そうですよね…」

苦笑いしつつ、後輩は公演の内容について話し始めた。

なんでも札幌付近での公演らしく、出張代を半分負担してもらえる上に中々ギャラが良い、という事もあって、半分旅行気分で引き受けた。

そのあとは、部下が奢ってくれると言うから飲むつもりのなかった酒まで頼んでしまい、ほのかに酔いを感じながら雑談していた。

 

「いやぁ本当にありがとうございます!」

「まあ、付き合いも長いしな。そういえば、そんなに焦る用事ってなんなんだ?」

「実は、母の容態が…」

「そうか…大変そうだな。」

「先輩の親御さんは大丈夫なんですか?確か…新潟でしたよね。豪雪地帯だし…」

「いや、実家があるとこは新潟の中でも特に雪が少ない地域なんだ。そのへんは大丈夫じゃないかな。」

「そうでしたか…いやぁ、本当に良かった。」

「え?」

「引き受けてくださって、本当に、良かったです…。」

「お、おぉ。」

 

北海道と言えばグルメ、観光名所も多い。

ワクワクしながら当日を迎え、改めてよく読み直してみると、なんと会場が札幌ではなく、そこからかなり東に行った小さな町の公民館だった。

地図上ではわずかな距離に見えたのだが、北海道恐るべしと言うべきか。

こんな話の需要がある場所なんて札幌くらいしか無いとたかを括っていたが、期待が裏目に出てしまった。

渋々深夜バスに乗り込み、せっかく札幌に着いたというのに様々なグルメを横目にそこから電車に揺られた。

バスでよく眠れなかったから、かなり疲労も溜まっている。あのワクワクを返してくれ、と不満を垂らしそうになるが、我慢する。

それにしてもアイツ、なんでこんな所にわざわざ喋りに来るんだよ…と、ローカル線の座席に座って考え込んでいると、ちょうどいい温度の暖房も相まって、ウトウト、してきた…

 

はっ、よくないよくない、と目を開ける、と、列車はトンネルの中を走っていた。

と思った次の瞬間、一面に広がる雪景色が目に飛び込んでくる。

恥ずかしながらテンションの上がる、眠気を覚ますのには充分な刺激だった。

目的の町までは眠らずに済みそうだ。

 

駅から町へは徒歩で十分もかからなかった。

小さな町、とは言うものの、やはり東京と違い一つ一つの土地の使い方が豪快で、大して誰も停めないであろう公民館の駐車場すらざっと見た所20台分はスペースがある。

舞台は明日だ。今日はゆっくり休もうと、後輩に勧められ予約しておいた民宿へと向かう。

「いらっしゃい。」

店頭で出迎えてくれたのは、もう70歳になるかというおじいさんだった。

かなり老けているが、背筋が伸びていて、喋り口調もハキハキとしている。

早速部屋に案内されると、想像以上の光景が広がっていた。

民宿、とは言いつつも、まるで温泉旅館のような高級感と居心地の良さがある、畳が敷き詰められた和室。窓際のイスが2つ並んでいる謎のスペースも完備されている。

「ご飯はお食べになられました?ご用意も出来ますが。」

ハッとして時計を見てみると、いつの間にかすっかり夜だ。

電車に相当長い時間乗っていたのか、と今になって思い返す。

「いえ、食べてきたので、今日はもう休みます。」

「そうですか、ごゆっくり。」

「ええ、お気遣いありがとうございます。」

ひどく溜まった疲れを取るべく、着いて早々布団を敷き電気を消した。

寝心地も良い。いい宿を見つけたものだ。

 

翌日、支度を済ませ、ご主人お手製だという朝ごはんを頂いた。

あまり味の詳細な説明はしにくい、この地域特有の郷土料理だろうか。複雑だが、とても美味しかった事は確かだ。

そろそろ予定の時間も近づいていたため、宿主に挨拶をしてから公民館へと向かった。

 

話は変わるが、今回の舞台では絶対にこれを話そうと心に決めている物語がある。

雪男、海外ではイエティとも呼ばれている。

真っ白のゴリラのようなUMAを題材とした話で、今まで作ってきた台本の中でも特別お気に入りなのだ。

こんな雪が積もった場所で話せば、さぞ臨場感も出るだろう。

 

「今回はいつも来てくださる彼が緊急で来れなくなってしまったということで、代理としてなんとこの有名な方が来てくださいました!」

こんな古ぼけたステージで、仰々しいMCだなぁ、などと思いながら、ゆっくりとステージへ上がり、口を開く。

「本日はわざわざお招き頂きありがとうございます、精一杯面白い話を作ってきましたので、よろしければ聞いていってください。」

いつも言っている常套句だ。このクッションがあると、自然に本題へ持っていける。

「さて、本日お話しさせて頂きますは、雪男、イエティとも言いますね。アルプスでしたか、ヒマラヤでしたか、雪山に出没するとされる白くて巨大な未確認生物、俗に言うUMAというやつです。この雪男、実は特定の山に出没、という噂こそありますが、実際のところはどの山にもヌシとなる個体が生息しておりまして、それはもう凶暴なのです、人語を解するほどの高い知能も…」

ん…?

何かがおかしい。

観客の様子が、変だ。

順調な滑り出しだと、少なくとも自分は思った。のだが、なんだか客席がザワザワし出している。

噺家さん、文句つけるって訳じゃねえけどよ…」

「え…?どうされました?」

「だって、雪男が未確認生物って…そんなホラ話、いくらフィクションでも面白くもなんともないよ。」

…は?

「アンタも見なかったかい?駅からここに来る途中、嫌でも一回は見るはずなんだが…」

「い、いえ…生憎疲れていたもので…」

???

明らかに何かがおかしいことは理解しつつも、とりあえずウケが悪い雪男の話は早々に切り上げ、別に用意していた定番のUFOの話でごまかしつつなんとか乗り切った。

よく考えると、講演なんて放り投げて文句をつけてきたおっさんに話を聞けばよかったかもしれない。

なんだか変な不安に駆られ、挨拶を済ませると早々に民宿へ向かった。

 

「おや、用事はもうお済みで。」

なんだか主人の姿を見ると安心するようで、焦るようだった呼吸が落ち着きを取り戻してきた。

「あの、少しお話をよろしいですか?」

「ええ、構いませんが。」

「その…ここに住み始めてから、どれくらい経ちます?」

「生まれてこの方、地元一筋ですよ。」

「そうですか…いえ、その、公民館で妙な噂を聞きまして。なんでもこのあたりでは雪男が当たり前に出没する、とか。」

「ああ、そう、あなたは違うんですね。…申し訳ない事をした。」

主人がおもむろに立ち上がり、服を脱ぎ始めた…!

「え…え…あああ!」

防寒着を全身に纏っていて全く見えなかった主人の全身が、真っ白い毛に覆われている。

「この町の男は、半分くらいがこんな感じですよ。」

「そ…そんな事が…」

「まあ、巷で言われているような変な習性とかはないですから、安心してください。ただ少し力が強かったり、寿命が長かったりするだけですからね。」

「え、ええ、はい…」

信じ難いことだが、この主人が言うと信じざるを得ないというか、凄みがあるというか…

先程の発言から考えるに、雪男は人間と同等以上の知能を持ちながら、人より長く生きるという。

雪男が実在しているという事実もそうだが、自分なんかより確実に長く生きている主人を目の前に、人生経験の差とはこうも出るものか、と衝撃を感じる。

「そういえば、いつも泊まりに来てくれるんですよ。君の知り合いだっていう彼。」

突然何を言い出すかと思えば…この民宿を勧めた後輩…?何か…

「その様子だと、やはり言っていないようで。彼も雪男なんですよ。」

「は…はぁ??」

「ははは、こんな話、中々する機会もないもので、つい脅かしてしまいました。ですが、彼も雪男なのは本当です。」

「まさか…あいつが…」

「一つ、確かめておきたいんですが。」

「…え?」

「彼、何かおかしなところはありませんでしたか?長いお付き合いのようですから、いつもと違うところとか。」

思い返せば、あの日のあいつは何かおかしかった。心ここに在らずという感じだ。

「あ、あったら、なんだと言うんです?」

「まあ、恐らくそんな事は無いだろうと思うのですがね。一応伝えておきましょう。彼はこの町のヌシなのです。代々伝わる雪男の家系の長男でして。」

「ええ!?あいつが!?」

「はい。それで、ヌシというのは厄介な縛りがありまして。彼はある程度成長すると、故郷を出て人間を探さなければならないのです。生贄の為に。」

「な…あ…ちょ、ちょっと待って!」

「あぁ、安心なさってください。あなたは生贄の対象ではありませんし、その様子だと仲も非常に良かったようだ。そんな事は無いと思いたいのですがね。」

「そ、そんな、事。」

「生贄の対象は、故郷の外で知り合い、親しくなった人の血縁者なのです。一人暮らしですか?ご結婚は?」

「い、いえ、まだですが…」

「では、ご家族の居場所を彼が知っていたりとか。」

「ないはずです…都道府県くらいは知っているかもしれませんが、詳しい場所までは。」

「それはよかった。恐らく、ただあなたに代役を務めてもらいたかっただけなのでしょう。たまに帰ってきて、出し物をしてくれるんです。ご覧の通り、娯楽の少ない所ですから。」

「あるんですか?そんな事、本当に…」

「たまに、ありますね。ここに来られるのはまあ珍しいですが、アクセスが悪くすぐに帰ってこれない場所に留まっていてもらう間に、ヌシが血縁者を捕獲する、なんてことも。」

「そ、そうですか…そんな恐ろしいことが。」

「あなたが狙われていないのであれば良かった。安心なさってください。」

「ええ…どっと疲れました…」

「日も落ちてきましたし、そろそろ夕食でもどうです?」

「良いですね。是非。」

「公民館より少し先に行けば、飲食店が並んだ通りがあります。あそこなら、大丈夫のはず。」

「え?今日はここのご飯は無いんですか?美味しかったので、また食べたいと思っていたのですが。」

「…すみませんが、それはできません。」

「材料を切らしているとか?」

「まあ、そんなところです。」

 

すすめられた通りにある中華屋で、あれこれと考えてみる。

そういえば、あの郷土料理にはどんな材料が使われていたのだろうか。切らしていると言っていたが、簡単には手に入らないものだったり…?

結局通りを探してみたが、郷土料理のような表記はどこにも無かった。

「お待たせしました、ラーメンと、半チャーハンです。」

どこへ行ってもこればかりだ。まあ、この町は海から遠いようだし魚介類には期待できない。

ハズレを引くくらいなら、いつもと同じものを食べよう。

「こちらは人間用となっておりますので、安心してお召し上がり頂けます。」

…?

「ちょ、ちょっと待ってください。」

「はい?」

「人間用、というのは?」

「ああ、外から来られた方ですか。この町では、人間用と雪男用の料理があるんですよ。」

「な、なるほど…違いはどんなものなんですか?」

「人間用は知っての通りのお食事なんですが、雪男用は…ジビエ料理が基本となります。」

「へぇー、そういうのもあるんですね。どんなお肉を?」

「あ…いえ、その…気を悪くされたら申し訳ありませんが、この町の雪男は…人肉を食べるのです。」

「な…」

その瞬間、主人の言葉が頭をよぎる。妙に濁された今晩の食事、材料不明の郷土料理…

冷や汗が出てきた。つまり、私は…

水を飲もうとテーブルに目をやると、視界にラーメンと半チャーハンが映る。

芋づる式に記憶が掘り起こされていく。

この町の仕事を引き受けた時も、確かラーメンチャーハンを食べていた。

 

『先輩の親御さんは大丈夫なんですか?確か…新潟でしたよね。豪雪地帯だし…』

『いや、実家があるとこは新潟の中でも特に雪が少ない地域なんだ。そのへんは大丈夫じゃないかな。』

 

雪が少ない地域。

新潟で雪が少ない地域は、限られる。

加えて、私の苗字はあいつに知られている───

アペックス内蔵限界深夜ラジオ#2.5

番外編

全編実話 長文じゃないと説明が難しい体験をラジオ文字起こし

 

 

ハモリ『アペックス内蔵の限界深夜ラジオ!!』

 

T「さあ本日も始まりましたアペックス内蔵の限界深夜ラジオ、本日はメインパーソナリティであるワタクシTニキと」

棒「水曜パーソナリティの棒がお送りします、今日も午前3時までどうかお付き合いいただければと思います。」

 

T「ちょうど一昨日にですね、ちょっと用事がありまして、秋葉原の方に。」

棒「おー…」

T「なんか、やっぱりいいなと。秋葉原って。独特の空気と言うんですか。」

棒「最近しばらく行ってないなぁ」

T「まあそれで、色々用事とか買い物を済ませて、時刻がちょうど2時くらい。」

棒「ほう。」

T「朝も適当にちょろっと食べただけだったんで、もうお腹ぺこぺこなんですよ。で秋葉原ですから。」

棒「ガツンとした店多いね。」

T「そう、それで〜まああの辺で大多数を占めるのはまあB級…と言ったらアレですけど。そういう気分じゃなかったんですよね。それで逆に、そこまで高いお店もちょっと。ちょうどいい塩梅の店が欲しくて。」

棒「あーそう、秋葉原でそうなるとねぇ、お店見つけるのもなかなか苦労しそうですけれども。」

T「だからしばらく街を歩いたんですけど、なかなかピンと来なくて、それでまあ、い一旦駅に戻ったんですけど、そういえばデパートあるじゃんと思って。」

棒「デパート?」

T「そのー…わかりますかね、デパートって屋上のちょっと下くらいにあの~、レストラン街あるじゃないですか。若干薄暗かったり暖色だったりする。」

棒「…あ~、あの、あれね。わかりますよ。」

T「ああいうところってやっぱ、その辺の店よりちょっと小綺麗というか。やっぱりデパートの中というところもあって、それなりのお店が多いんですけど、高すぎもしないんですよ。絶妙な塩梅で。」

棒「言われてみれば。」

T「それでデパート入って、ぐるぐる見回ってたんですけど、ま~どれも魅力的で。鍋とか、中華とか。海鮮とか。いろいろあって。」

棒「あのスペースで食べれないもの…まあ規模にもよりますけど、あんま無いですよね。どれも美味しいし。」

T「そう、それで迷いに迷ったんだけど、結局、なんかお肉食べたいなと思って。ステーキのお店に入ったんですよ。ここからがまあメインというか、このトークの根幹の話なんですけど。」

棒「はいはい。」

T「まずお店入るじゃないですか。そしたら金髪で、長い髪を後ろにまとめたマスクつけた方が案内してくれて。ぱっと見女性かな?と思ったら、おひとり様ですか?って思いっきり男の声で聞かれて。」

棒「雲行き怪しいですか?もう。」

T「いやいやいや、ここはまだですよw まあマスクもしてましたし、ちょっと意外だったっていうのはありますけど、まず男でその見た目って相当チャラい可能性あるなと思って、ほんとに一瞬ですけど、考える時間はありましたよね。」

棒「やっぱりw」

T「まあこれから話していくとそんなことないってわかってもらえると思うんですけど。それでまず、テーブルかカウンターどっちにしますか?と。もちろん1人だからカウンターにしましてですね、座るとまず紙エプロンが出てきて、よろしければご着用くださいと。」

棒「まあまあまだ普通ですね。」

T「いやw何か勘違いされません?wなにかこうアクシデントがあるみたいな。先に言っておきますけど、今回のこのフリートークでアクシデントは一切起こりませんよ!」

棒「じゃあラジオで喋ってんじゃないよw」

T「いやいや、なんかこう自分の中で、考えさせられたというか。まあ本当にしょうもない話なんですけど。それで、まずこのお店を利用したことはありますか?って聞かれたんですよ。まあ秋葉原で初めて入るデパートなんで、当然なくて。ないです、って言ったら、すんごい丁寧なメニューの説明が始まったのよ。」

棒「へぇ~、まあ嬉しいじゃないですか。」

T「あそう、言い忘れてたんだけど、これからいろいろ店員さんとコミュニケーションをとるんだけど、その相手は全部さっき言った金で長髪の店員さんね。そこを認識しておくとなんか…より一層、この絶妙な空気が伝わると思いますから。」

棒「なるほど。」

T「まあひとしきりメニューの説明をしてくれて、僕は、食べるものをお店の前の食品サンプルで決めてきてたんですけど。」

棒「あ~、デパートレストラン街って食品サンプルのワクワク感あるよね。」

T「それで、そのお店カンガルーの肉とかもあって。すごいな~と思いながら。それで最後に、ギリギリランチタイムだったから、このAセットが無料で付きますってなって、ライスとスープがついてきますと。」

棒「嬉しいですね。」

T「そしたらそのあとLINEでクーポンがもらえますよっていう説明を受けて、僕あんまりLINEにいろいろ追加したくない、んですよ。だから断ろうと思って。」

棒「どんどん増えていっちゃうからね。」

T「だから僕いや、今はいいですって言ったんだけど、なんか店員さん気まずそうで。」

棒「え?」

T「いやその、僕の早とちりで、登録を強制せず『よかったらお試しください』みたいなスタンスで来られると思わなくて、べつにやれって言われてないのに自分から嫌だ!って言い張る偉そうなやつみたいになっちゃってw」

棒「www」

T「まあでもそれでやっと説明が終わって、でもせっかくあんなに説明してもらったのに意味なかったと言わんばかりに即注文するのもなんか気が引けて、ちょっともう一回考えたのよ。まあ結局変わらなかったんだけど。」

棒「ww」

T「それで注文しようと身を乗り出しかけた瞬間、お決まりですか?って、向こうも店員を呼ぶ前の動きみたいなのがわかってるんだろうね。すんごいスピードで来てくれて。一番スタンダードな、赤身肉を200g頼んで。そしたら当店のお肉はレアで食べれますのでお好みの加減でお召し上がりくださいと。」

棒「たまにまだ真っ赤なのに食べ始める人いるよね~」

T「まあそれは好みですから。それでやっと待つ時間が来て、店内を見回すんですけど、本当に店員さんも店内もとにかく気が利いてるんですよ。」

棒「もうお店がそういうお店なんだね。」

T「まず、あの…そのお店は普通に鉄板で出てくるんですよ。あの、熱い小っちゃいリトル鉄板みたいなのがが別添えで出てきて、それを言ってくれれば温められますっていうのはよくあると思うんですけど、そのお店、多分なんだけど、鉄板ごと冷めたら一回鉄板ごと回収してその鉄板自体をあっためてくれるっぽくて。僕試さなかったんで実際は分かんないですけどね。」

棒「至れり尽くせりじゃないですか。」

T「それでテーブルをよくよく見てみると、まずドレッシングが2種類、ステーキソースが2種類。塩コショウもあって、ワサビなんて変わり種もあって、溢れかえってるんですよ卓上調味料で。」

棒「やる気すご。」

T「それで最後に、ポップが貼ってあったんですけど、口コミ評価4.8目指してます!!って書いてあるんですよね。」

棒「www あんま言わないよね自分からはw」

T「それもそうだし、4.8ですよ。あの…いくらなんでもですよ?高すぎやしませんか?口コミってあれ多分…僕あんま見ないんでアレですけど、3.5で良いお店、4いけばもう口コミ界では超一流みたいなイメージなんですけど。自分から4.8を言い出すって相当…ねw」

棒「まあでも、今までの話を聞いてる限りはそんな評価になってもおかしくない可能性を秘めてはいますよね。その自信を裏付ける接客というか、お店というか。」

T「そうなんですよ!さすがに僕も気になって、なんかお店に失礼な気がして極力見ないようにしてるんですけど、店名入れて調べようとしたところに、続きはCMのあと!みたいな感じでお肉が来ちゃってw」

棒「wwww」

T「しょうがないから食べ始めようとするんですけど、そこでもまたいろいろとね。」

棒「まあここまできたらそうでしょうね。」

T「まず、店員さん変わらないんですよ?あの金髪の方のままなんですけど、またレアでも食べれますという説明2回目受けまして。」

棒「丁寧も丁寧。」

T「それで、その次にこのお肉ですとこちらのオニオンソースが合いますよと。」

棒「全部覚えてるのかな店員さん…凄いね。」

T「まだありますよ!」

棒「まだ?w」

T「こちらのお野菜は生でお出ししておりますので適度に鉄板で炒めてお召し上がりください、と。」

棒「ww」

T「まあそれで、お肉自体は普通というか、もちろん美味しかったんですけど、直球勝負というか。あんまりここに関しては話すことはないというか。」

棒「まあ、ここで料理が変わり種だともはやデパートにあっていい店ではないよねw」

T「そう、で、普通に食べてたんですよ、そしたらカウンターの真隣の席に外国の方が座ってきて。」

棒「おっと。」

T「まあまあ変わらず食べてたら、あの金髪の店員さんが来て、最初は僕に話しかけたような応対なんですけど、次第にその外国人があんまり日本語話せない…ことに気が付き始めてw」

棒「見せ所ですね~」

T「そしたら本当びっくりしたんだけど、急に店員さんが裏に行って。英語話せる人呼んでくるのかな?とか、ポケトークでもあるのかな?と思ってたんですよ。」

棒「まあまあ、よくありそうではありますね。」

T「店員さんが戻ってきた途端イングリッシュメニュー!って言って、英語版のメニューを出してきたんだよねw」

棒「ww」

T「それで一生懸命僕にもやったような説明をしようとするんだけど、やっぱりメニューだけだと伝わらないことも多くて。」

棒「いやあでも、そんな積極的に説明しようとしにいくの凄すぎるなあ。」

T「そうなんだよね。横でスゲーって思いながら見てたんだけど、外国人の方もニホンゴスコシOKって言って、二人で英語と日本語を織り交ぜながら会話するんだよねw」

棒「フィクションとかではよく見る場面だけど、実際に近くで見ることってあんま無いねwお互い相当コミュ強じゃないとできないよねその感じww」

T「で、まあその方が、あらかたメニューを見て、とりあえず決めたっぽいんですよ。何頼んでたっけな…とりあえず、これにしますと。店員さんに伝えるんですけど、メニューにはそのー、お店の細かい仕様とかそういうのが書いてなくて、セット無料なんですけど、ノーライス!って言うんですよね。」

棒「ほぉーなるほど?」

T「まあでも外国の方ですから、もしかしたら白米が苦手な可能性もなくはないか…?って感じで、店員さんもとりあえず、OKと。裏に行って。」

棒「まあ注文が済んだらね。それを出すだけですから。」

T「で、僕がトイレに行ったんですよ。このやり取りを密かに面白がってたんですけど、まあひと段落したかなと思って。トイレ行って、帰ってきたらですね、でっかいジョッキに入った…ビールが、置いてあって。その外国の方のテーブルに。」

棒「え?さっき頼んでましたっけ。なんか…」

T「まあ僕が聴き逃しちゃった可能性もありますけど、ビールがあって。だからライスなしなのも納得というか、ステーキでお酒を飲みたかったんだよと。ご飯あってもしょうがないし。」

棒「あー、そういうことか。お酒飲んだらすくぐお腹いっぱいになりますからね。ましてやビールなんて。」

T「まあビール、を飲んでて、僕がもう食べ終わるかな〜って時にお隣の肉も来たんだけど、何故か、何故なのかわからないんだけど、ライスが来てんのよw」

棒「www」

T「ノーライスって言ってたよね?って。」

棒「悔やまれるね、トイレが。」

T「まあそれで、色々あったけどとりあえず自分は食べ終わったから、お会計して。デパートのお店にしてはやっすいのよ。ステーキ200gでちょうど1000円くらいで。」

棒「へぇ〜、良い店ね。」

T「それで、退店したんだけど、これが1番このトークで重要というか、言いたいことで。」

棒「ほう?」

T「なんか…こう、まあ話した通り、すごい良いお店だったんだけどさ、なんかあまりにも丁寧すぎて。これもう本当におこがましい話だとは思うんだけど。」

棒「はいはい。」

T「丁寧すぎてさ、なんか申し訳なくなっちゃう…というか、なんかこっちも気を遣っちゃってさ。勿論すごい雑な接客よりは良いと思うし、私がこういうのに慣れてないっていうのもあるんでしょうけどね?」

棒「そういうのあるかもね。色々。」

T「で、更にこの感覚を加速させた事があって。まあこれ後日の話なんだけど、コンビニでお夜食を買ったのよ。」

棒「ほう。」

T「それで、色々パンとか持ってレジ行ったらさ、すんごいスピードでバーコード読み取ってお釣り渡してきてw 動きに一切無駄がないのよw」

棒「たまにいるはいますけど、すごい早い人。」

T「この時なんか、不思議なんだけどさ、あのすんごい丁寧な接客、その、ステーキの接客を思い出して、その時。なんかこっちの…コンビニの、雑な訳じゃないしね?すごい丁寧で、でも早い、って感じなんだけど。」

棒「勿論、わかりますよ。」

T「このコンビニの接客を受けた時、なんかすごい良い気分になっちゃって。なんか、あんだけ丁寧だったのに感じ方ってここまで違うんだ!って思ったのよ。」

棒「人によって感じ方は様々でしょうけどね?その上で、やっぱりあんまり気を遣いすぎると、という、そういう複雑な。」

T「そう、まあ語弊がある言い方かもしれないけど、あんま丁寧すぎるのも考えものなのかな〜って思って。それでさ、そのコンビニ出て一個思い出した事があって。」

棒「え、なんかありました?」

T「ステーキ屋の口コミ見てねえな、と思って。すげー事書いてあったからさ。4.8目指してします!って。」

棒「あー!ありましたね!」

T「気になって調べたのよ。」

棒「ほう!」

T「そしたら…4.8だったw」

棒「wwwww」