それは、雪の降りしきる冬の出来事だった。
私は、噺家、と言うにはまた違うというか、ストーリーテラーというか、なんと言えばいいのか具体的な名称は無いように思うが、様々な催し物に呼ばれ、そこで俗に言う“怖い話”をする仕事をしている。
怖い話と言っても古典的なお化けや心霊現象といったものだけでなく、UFOなどといった近代的なオカルトも扱う。
自分で言うのもなんだがこの界隈では第一人者とも言っていいくらいには名前もチケットもそこそこに売れている。
この娯楽多様化の時代、わざわざ会場に来て、ただ誰かが話しているのを聞く、なんていう一見無駄とも思える時間を過ごしてくれる客には頭が上がらないものだ。
今まで本当に色々なテーマの怖い話をしてきたが、中でもこれはお気に入り、力作だなぁ、と思うものは自分の中でいくつかある。
そういう複雑で凝った話は大きい会場で話すとカジュアル層のお客が退屈してしまうというので、こういう話が好きな変人が集まる人の少ないイベントやらの時に話したい、と思っていたのだが、前にテレビに出て売れてしまってからはめっきり話せる機会も減ってしまった。
あの気に入っていた雪男の話、もう少し大衆受けするように書き直そうかな、などと思っていたところ、もうかれこれ10年の付き合いになる同業の後輩から電話がかかってきた。
『折り入ってお願いしたいことがあるのですが…』
やけに緊張したトーンでの電話だったので、折角だから飯でも、と行きつけの中華屋に集まった。
「ラーメン半チャで」
「中華丼をお願いします」
…やはり様子がおかしい。いつもならあんかけ焼きそばを頼むところのはずだ。
「どうした?そんな浮かない顔で。」
「はい…あの、急なお願いで本当に申し訳ないのですが、僕が出る予定だった公演、代役で出て頂けませんか?」
前から変なやつだとは思っていたが、こんなに下手に出られたのは初めてだ。余程大事な用事なのだろうか。
「いや、まぁ…中身によるけど。」
「まぁ、そうですよね…」
苦笑いしつつ、後輩は公演の内容について話し始めた。
なんでも札幌付近での公演らしく、出張代を半分負担してもらえる上に中々ギャラが良い、という事もあって、半分旅行気分で引き受けた。
そのあとは、部下が奢ってくれると言うから飲むつもりのなかった酒まで頼んでしまい、ほのかに酔いを感じながら雑談していた。
「いやぁ本当にありがとうございます!」
「まあ、付き合いも長いしな。そういえば、そんなに焦る用事ってなんなんだ?」
「実は、母の容態が…」
「そうか…大変そうだな。」
「先輩の親御さんは大丈夫なんですか?確か…新潟でしたよね。豪雪地帯だし…」
「いや、実家があるとこは新潟の中でも特に雪が少ない地域なんだ。そのへんは大丈夫じゃないかな。」
「そうでしたか…いやぁ、本当に良かった。」
「え?」
「引き受けてくださって、本当に、良かったです…。」
「お、おぉ。」
北海道と言えばグルメ、観光名所も多い。
ワクワクしながら当日を迎え、改めてよく読み直してみると、なんと会場が札幌ではなく、そこからかなり東に行った小さな町の公民館だった。
地図上ではわずかな距離に見えたのだが、北海道恐るべしと言うべきか。
こんな話の需要がある場所なんて札幌くらいしか無いとたかを括っていたが、期待が裏目に出てしまった。
渋々深夜バスに乗り込み、せっかく札幌に着いたというのに様々なグルメを横目にそこから電車に揺られた。
バスでよく眠れなかったから、かなり疲労も溜まっている。あのワクワクを返してくれ、と不満を垂らしそうになるが、我慢する。
それにしてもアイツ、なんでこんな所にわざわざ喋りに来るんだよ…と、ローカル線の座席に座って考え込んでいると、ちょうどいい温度の暖房も相まって、ウトウト、してきた…
はっ、よくないよくない、と目を開ける、と、列車はトンネルの中を走っていた。
と思った次の瞬間、一面に広がる雪景色が目に飛び込んでくる。
恥ずかしながらテンションの上がる、眠気を覚ますのには充分な刺激だった。
目的の町までは眠らずに済みそうだ。
駅から町へは徒歩で十分もかからなかった。
小さな町、とは言うものの、やはり東京と違い一つ一つの土地の使い方が豪快で、大して誰も停めないであろう公民館の駐車場すらざっと見た所20台分はスペースがある。
舞台は明日だ。今日はゆっくり休もうと、後輩に勧められ予約しておいた民宿へと向かう。
「いらっしゃい。」
店頭で出迎えてくれたのは、もう70歳になるかというおじいさんだった。
かなり老けているが、背筋が伸びていて、喋り口調もハキハキとしている。
早速部屋に案内されると、想像以上の光景が広がっていた。
民宿、とは言いつつも、まるで温泉旅館のような高級感と居心地の良さがある、畳が敷き詰められた和室。窓際のイスが2つ並んでいる謎のスペースも完備されている。
「ご飯はお食べになられました?ご用意も出来ますが。」
ハッとして時計を見てみると、いつの間にかすっかり夜だ。
電車に相当長い時間乗っていたのか、と今になって思い返す。
「いえ、食べてきたので、今日はもう休みます。」
「そうですか、ごゆっくり。」
「ええ、お気遣いありがとうございます。」
ひどく溜まった疲れを取るべく、着いて早々布団を敷き電気を消した。
寝心地も良い。いい宿を見つけたものだ。
翌日、支度を済ませ、ご主人お手製だという朝ごはんを頂いた。
あまり味の詳細な説明はしにくい、この地域特有の郷土料理だろうか。複雑だが、とても美味しかった事は確かだ。
そろそろ予定の時間も近づいていたため、宿主に挨拶をしてから公民館へと向かった。
話は変わるが、今回の舞台では絶対にこれを話そうと心に決めている物語がある。
雪男、海外ではイエティとも呼ばれている。
真っ白のゴリラのようなUMAを題材とした話で、今まで作ってきた台本の中でも特別お気に入りなのだ。
こんな雪が積もった場所で話せば、さぞ臨場感も出るだろう。
「今回はいつも来てくださる彼が緊急で来れなくなってしまったということで、代理としてなんとこの有名な方が来てくださいました!」
こんな古ぼけたステージで、仰々しいMCだなぁ、などと思いながら、ゆっくりとステージへ上がり、口を開く。
「本日はわざわざお招き頂きありがとうございます、精一杯面白い話を作ってきましたので、よろしければ聞いていってください。」
いつも言っている常套句だ。このクッションがあると、自然に本題へ持っていける。
「さて、本日お話しさせて頂きますは、雪男、イエティとも言いますね。アルプスでしたか、ヒマラヤでしたか、雪山に出没するとされる白くて巨大な未確認生物、俗に言うUMAというやつです。この雪男、実は特定の山に出没、という噂こそありますが、実際のところはどの山にもヌシとなる個体が生息しておりまして、それはもう凶暴なのです、人語を解するほどの高い知能も…」
ん…?
何かがおかしい。
観客の様子が、変だ。
順調な滑り出しだと、少なくとも自分は思った。のだが、なんだか客席がザワザワし出している。
「噺家さん、文句つけるって訳じゃねえけどよ…」
「え…?どうされました?」
「だって、雪男が未確認生物って…そんなホラ話、いくらフィクションでも面白くもなんともないよ。」
…は?
「アンタも見なかったかい?駅からここに来る途中、嫌でも一回は見るはずなんだが…」
「い、いえ…生憎疲れていたもので…」
???
明らかに何かがおかしいことは理解しつつも、とりあえずウケが悪い雪男の話は早々に切り上げ、別に用意していた定番のUFOの話でごまかしつつなんとか乗り切った。
よく考えると、講演なんて放り投げて文句をつけてきたおっさんに話を聞けばよかったかもしれない。
なんだか変な不安に駆られ、挨拶を済ませると早々に民宿へ向かった。
「おや、用事はもうお済みで。」
なんだか主人の姿を見ると安心するようで、焦るようだった呼吸が落ち着きを取り戻してきた。
「あの、少しお話をよろしいですか?」
「ええ、構いませんが。」
「その…ここに住み始めてから、どれくらい経ちます?」
「生まれてこの方、地元一筋ですよ。」
「そうですか…いえ、その、公民館で妙な噂を聞きまして。なんでもこのあたりでは雪男が当たり前に出没する、とか。」
「ああ、そう、あなたは違うんですね。…申し訳ない事をした。」
主人がおもむろに立ち上がり、服を脱ぎ始めた…!
「え…え…あああ!」
防寒着を全身に纏っていて全く見えなかった主人の全身が、真っ白い毛に覆われている。
「この町の男は、半分くらいがこんな感じですよ。」
「そ…そんな事が…」
「まあ、巷で言われているような変な習性とかはないですから、安心してください。ただ少し力が強かったり、寿命が長かったりするだけですからね。」
「え、ええ、はい…」
信じ難いことだが、この主人が言うと信じざるを得ないというか、凄みがあるというか…
先程の発言から考えるに、雪男は人間と同等以上の知能を持ちながら、人より長く生きるという。
雪男が実在しているという事実もそうだが、自分なんかより確実に長く生きている主人を目の前に、人生経験の差とはこうも出るものか、と衝撃を感じる。
「そういえば、いつも泊まりに来てくれるんですよ。君の知り合いだっていう彼。」
突然何を言い出すかと思えば…この民宿を勧めた後輩…?何か…
「その様子だと、やはり言っていないようで。彼も雪男なんですよ。」
「は…はぁ??」
「ははは、こんな話、中々する機会もないもので、つい脅かしてしまいました。ですが、彼も雪男なのは本当です。」
「まさか…あいつが…」
「一つ、確かめておきたいんですが。」
「…え?」
「彼、何かおかしなところはありませんでしたか?長いお付き合いのようですから、いつもと違うところとか。」
思い返せば、あの日のあいつは何かおかしかった。心ここに在らずという感じだ。
「あ、あったら、なんだと言うんです?」
「まあ、恐らくそんな事は無いだろうと思うのですがね。一応伝えておきましょう。彼はこの町のヌシなのです。代々伝わる雪男の家系の長男でして。」
「ええ!?あいつが!?」
「はい。それで、ヌシというのは厄介な縛りがありまして。彼はある程度成長すると、故郷を出て人間を探さなければならないのです。生贄の為に。」
「な…あ…ちょ、ちょっと待って!」
「あぁ、安心なさってください。あなたは生贄の対象ではありませんし、その様子だと仲も非常に良かったようだ。そんな事は無いと思いたいのですがね。」
「そ、そんな、事。」
「生贄の対象は、故郷の外で知り合い、親しくなった人の血縁者なのです。一人暮らしですか?ご結婚は?」
「い、いえ、まだですが…」
「では、ご家族の居場所を彼が知っていたりとか。」
「ないはずです…都道府県くらいは知っているかもしれませんが、詳しい場所までは。」
「それはよかった。恐らく、ただあなたに代役を務めてもらいたかっただけなのでしょう。たまに帰ってきて、出し物をしてくれるんです。ご覧の通り、娯楽の少ない所ですから。」
「あるんですか?そんな事、本当に…」
「たまに、ありますね。ここに来られるのはまあ珍しいですが、アクセスが悪くすぐに帰ってこれない場所に留まっていてもらう間に、ヌシが血縁者を捕獲する、なんてことも。」
「そ、そうですか…そんな恐ろしいことが。」
「あなたが狙われていないのであれば良かった。安心なさってください。」
「ええ…どっと疲れました…」
「日も落ちてきましたし、そろそろ夕食でもどうです?」
「良いですね。是非。」
「公民館より少し先に行けば、飲食店が並んだ通りがあります。あそこなら、大丈夫のはず。」
「え?今日はここのご飯は無いんですか?美味しかったので、また食べたいと思っていたのですが。」
「…すみませんが、それはできません。」
「材料を切らしているとか?」
「まあ、そんなところです。」
すすめられた通りにある中華屋で、あれこれと考えてみる。
そういえば、あの郷土料理にはどんな材料が使われていたのだろうか。切らしていると言っていたが、簡単には手に入らないものだったり…?
結局通りを探してみたが、郷土料理のような表記はどこにも無かった。
「お待たせしました、ラーメンと、半チャーハンです。」
どこへ行ってもこればかりだ。まあ、この町は海から遠いようだし魚介類には期待できない。
ハズレを引くくらいなら、いつもと同じものを食べよう。
「こちらは人間用となっておりますので、安心してお召し上がり頂けます。」
…?
「ちょ、ちょっと待ってください。」
「はい?」
「人間用、というのは?」
「ああ、外から来られた方ですか。この町では、人間用と雪男用の料理があるんですよ。」
「な、なるほど…違いはどんなものなんですか?」
「人間用は知っての通りのお食事なんですが、雪男用は…ジビエ料理が基本となります。」
「へぇー、そういうのもあるんですね。どんなお肉を?」
「あ…いえ、その…気を悪くされたら申し訳ありませんが、この町の雪男は…人肉を食べるのです。」
「な…」
その瞬間、主人の言葉が頭をよぎる。妙に濁された今晩の食事、材料不明の郷土料理…
冷や汗が出てきた。つまり、私は…
水を飲もうとテーブルに目をやると、視界にラーメンと半チャーハンが映る。
芋づる式に記憶が掘り起こされていく。
この町の仕事を引き受けた時も、確かラーメンチャーハンを食べていた。
『先輩の親御さんは大丈夫なんですか?確か…新潟でしたよね。豪雪地帯だし…』
『いや、実家があるとこは新潟の中でも特に雪が少ない地域なんだ。そのへんは大丈夫じゃないかな。』
雪が少ない地域。
新潟で雪が少ない地域は、限られる。
加えて、私の苗字はあいつに知られている───